ファンブックにも載っていなかったサマラの実父。名はセクトというらしい。背はさほど高くなく、体つきも細身だ。見習い魔法官のマントをつけているということは、魔法使いの家系だったのだろう。おそらくナーニアと同い年か近い年と思われるが、屈託ない表情からは少し幼さが窺えた。
ナーニアとセクトが想い合っていることは、ひと目見てわかってしまった。ナーニアの表情がさっきとはまるで違う。頬を染め輝きを浮かべた瞳ではにかむ姿は、誰がどう見ても恋する乙女だ。セクトもこの世の喜びの渦中にいるような眼差しで、ナーニアを見つめている。
「ディー様が巨大竜退治に志願されたと耳にして、ご本人に聞きに行っていたの。そうしたら、本当だって……」
「そうか……けどディー様ならきっと大丈夫さ。あの人は大陸一の魔法使いだからね」
「……相変わらず私にはディー様の考えていることがわからないわ。私のことを一番弟子だって言うのに、大事なことは何ひとつ言ってくれない。あの巨大竜に挑むのにこれっぽっちも臆さないなんて、……私はディー様のことが時々怖いの」
「……きみは、ディー様のことが心配なんだね」
この関係の結末を知っているからだろうか。短い会話から三者三様のすれ違いをサマラは感じる。
ナーニアに師弟以上の感情を抱いているが、不器用すぎてそれが伝わらないディー。ディーの気持ちに気づかないどころか、彼の読めない本心に憤りと恐怖を感じるナーニア。ナーニアの抱くディーへの不満を恋心故だと勘違いしているセクト。
絡まり合ったまま事態は進み、それがすべてほどけた瞬間には糸はボロボロになっている。そう、ディーの糸だけが。
「ディー様は私の師ですもの、心配なのは当然だわ。ねえ、それよりディー様が無事に戻ってこられたらセクトも一緒に彼の指南を受けましょう。私からお願いしてみるから」
「俺はいいよ。研究に使う魔石を買うお金もないし、魔力も低くてあの人の指南にはついていけない。俺は見習い期間が終わったら研究職じゃなく事務のほうへ配属してもらうつもりなんだ」
どうやらセクトの家はあまり裕福ではないらしい。よく見ると着ているシャツや脚衣も貴族らしからぬくたびれ方をしている。魔力が低いと自称しているが、きっと両親も魔力が低く魔法使いとしてあまり稼げていないのかもしれない。
そしてきっとその引け目が、こんなに想い合っているナーニアへ愛を告げることを躊躇わせている。
「ナーニア、きみはディー様の指南を受けて立派な魔法使いになりなよ。俺は応援してるから」
「……もういいわ。セクトの馬鹿」
ナーニアは悲しそうに眉尻を下げ、ひとりで研究所の中へ戻っていってしまった。そんなことで引け目を感じ意気地のない彼がもどかしいと、態度に出ている。
セクトは己の不甲斐なさを嘆くように溜息をひとつ吐き出すと、「ナーニア、待ってくれ」と彼女を追いかけていった。
木の陰からふたりのやりとりを見ていたサマラは、どんな顔をしていいかわからない。顔も名も知らない実父のことを、人妻をたぶらかしたロクデナシだと思っていたのに、彼は少し臆病で平凡な善人だった。
そしてディーとサマラを地獄に突き落としたふたりは極悪人ではなく、どこにでもいるような男女でどこにでもあるような恋のすれ違いを起こしていた。
けれど、だからこそ。
「……お父様、可哀想……」
このふたりに裏切られたことは、ディーにとって青天の霹靂だっただろう。彼らを責める気持ちの中に、自分を責める気持ちも湧いたに違いない。善人のふたりに裏切られるほど俺は悪人だったのか、と。
胸が痛くて、サマラは鼻を赤くさせる。今頃ディーは何を想っているのだろうか。死地へ向かう意味を疑いもせずに。
「嫌なもん見ちゃったな。忘れよーぜ、俺たちが知ってていいもんじゃないよ」
そう言いながらもレヴの目線はナーニアたちが消えていった扉へ向けられたままだ。このふたりの裏切りがディーを追い詰め自分を生み出したのだと思うと、やはり複雑なものがあるのだろう。
それからふたりは黙ったままアリセルト邸の庭へ戻った。街の宿でサウィンまでやり過ごすつもりだったが、足が自然とアリセル邸へと向いた。なんとなくディーのそばにいたかったのかもしれない。
オークの木の根に座りながら、サマラはぽつりと呟く。
「お父様はお母様のことが……ナーニアのことが本当に好きだったんだよね」
その隣に座っているレヴが、根を撫でながら「そりゃそうだろ」と答えた。
ナーニアとセクトが想い合っていることは、ひと目見てわかってしまった。ナーニアの表情がさっきとはまるで違う。頬を染め輝きを浮かべた瞳ではにかむ姿は、誰がどう見ても恋する乙女だ。セクトもこの世の喜びの渦中にいるような眼差しで、ナーニアを見つめている。
「ディー様が巨大竜退治に志願されたと耳にして、ご本人に聞きに行っていたの。そうしたら、本当だって……」
「そうか……けどディー様ならきっと大丈夫さ。あの人は大陸一の魔法使いだからね」
「……相変わらず私にはディー様の考えていることがわからないわ。私のことを一番弟子だって言うのに、大事なことは何ひとつ言ってくれない。あの巨大竜に挑むのにこれっぽっちも臆さないなんて、……私はディー様のことが時々怖いの」
「……きみは、ディー様のことが心配なんだね」
この関係の結末を知っているからだろうか。短い会話から三者三様のすれ違いをサマラは感じる。
ナーニアに師弟以上の感情を抱いているが、不器用すぎてそれが伝わらないディー。ディーの気持ちに気づかないどころか、彼の読めない本心に憤りと恐怖を感じるナーニア。ナーニアの抱くディーへの不満を恋心故だと勘違いしているセクト。
絡まり合ったまま事態は進み、それがすべてほどけた瞬間には糸はボロボロになっている。そう、ディーの糸だけが。
「ディー様は私の師ですもの、心配なのは当然だわ。ねえ、それよりディー様が無事に戻ってこられたらセクトも一緒に彼の指南を受けましょう。私からお願いしてみるから」
「俺はいいよ。研究に使う魔石を買うお金もないし、魔力も低くてあの人の指南にはついていけない。俺は見習い期間が終わったら研究職じゃなく事務のほうへ配属してもらうつもりなんだ」
どうやらセクトの家はあまり裕福ではないらしい。よく見ると着ているシャツや脚衣も貴族らしからぬくたびれ方をしている。魔力が低いと自称しているが、きっと両親も魔力が低く魔法使いとしてあまり稼げていないのかもしれない。
そしてきっとその引け目が、こんなに想い合っているナーニアへ愛を告げることを躊躇わせている。
「ナーニア、きみはディー様の指南を受けて立派な魔法使いになりなよ。俺は応援してるから」
「……もういいわ。セクトの馬鹿」
ナーニアは悲しそうに眉尻を下げ、ひとりで研究所の中へ戻っていってしまった。そんなことで引け目を感じ意気地のない彼がもどかしいと、態度に出ている。
セクトは己の不甲斐なさを嘆くように溜息をひとつ吐き出すと、「ナーニア、待ってくれ」と彼女を追いかけていった。
木の陰からふたりのやりとりを見ていたサマラは、どんな顔をしていいかわからない。顔も名も知らない実父のことを、人妻をたぶらかしたロクデナシだと思っていたのに、彼は少し臆病で平凡な善人だった。
そしてディーとサマラを地獄に突き落としたふたりは極悪人ではなく、どこにでもいるような男女でどこにでもあるような恋のすれ違いを起こしていた。
けれど、だからこそ。
「……お父様、可哀想……」
このふたりに裏切られたことは、ディーにとって青天の霹靂だっただろう。彼らを責める気持ちの中に、自分を責める気持ちも湧いたに違いない。善人のふたりに裏切られるほど俺は悪人だったのか、と。
胸が痛くて、サマラは鼻を赤くさせる。今頃ディーは何を想っているのだろうか。死地へ向かう意味を疑いもせずに。
「嫌なもん見ちゃったな。忘れよーぜ、俺たちが知ってていいもんじゃないよ」
そう言いながらもレヴの目線はナーニアたちが消えていった扉へ向けられたままだ。このふたりの裏切りがディーを追い詰め自分を生み出したのだと思うと、やはり複雑なものがあるのだろう。
それからふたりは黙ったままアリセルト邸の庭へ戻った。街の宿でサウィンまでやり過ごすつもりだったが、足が自然とアリセル邸へと向いた。なんとなくディーのそばにいたかったのかもしれない。
オークの木の根に座りながら、サマラはぽつりと呟く。
「お父様はお母様のことが……ナーニアのことが本当に好きだったんだよね」
その隣に座っているレヴが、根を撫でながら「そりゃそうだろ」と答えた。


