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「お……お母様が……?」

 サマラは自室のベッドに腰かけながら、目をぱちくりとしばたたかせた。その手のひらには風の精が得意げな顔で座っている。

「そうよう。あたしたちちゃんと聞いたもの、ディーと剣士が話しているところ」

 一時間ほど前、カレオがやって来たと思ったら険しい顔つきでディーのもとへ向かったのを見て只事ではないと思い、風の精にお願いして中の様子を窺ってきてもらったのだ。

 妖精、特に風の精は自由で気まぐれなので人の頼みは簡単に聞かないのだが、よほど魔力が多く魔法に精通している者の命令ならば従うこともある。
 そう、ディーや……レヴのように。

「母親ってアレだろ? お前のこと生んでいなくなっちゃったやつ。今更出てくるとか面の皮厚いな」

 サマラの隣に座って、レヴは呆れたように溜息をつく。
 現在アリセルト邸に住んでいるレヴは、ディーにサマラの部屋へ入るのは禁じられているが、当然そんなのは聞かない。器用に魔法を使いディーの監視を掻い潜ってサマラの部屋へ入り浸っているのだ。

 歯に衣着せないレヴの言葉に、サマラは苦笑する。全くその通りではあるのだが。

「で、お前どうすんだ? 母親が引き取るって言うなら一緒に暮らすのか?」

 手のひらに魔力を集め妖精たちを遊ばせながらレヴが言う。サマラは「まさか」と首を横に振った。

「私はお父様の娘だもん、この屋敷を離れたくないよ。……レヴだっているし」

 最後のひと言に気を良くしたレヴは、頬を染めて口角を上げる。ところがサマラは口を噤んで何かを考えこむと、視線を下げたまま言葉を続けた。

「でもお父様は……もしかしてお母様のことがまだ好きなのかな……。復縁とかあり得るのかな」

 サマラは、ディーがナーニアと会おうとしていることがどうにも気になる。本来なら烈火のごとく怒ってもいい相手だ。ましてやディーは人の過ちを大きな心で許すタイプではない。

 それなのに怒りもせずナーニアと会おうとしているなど、不思議でならない。裏切られた怒りすら超越させるものがあるとしたら、それはきっと……愛ではないだろうかと思う。

 ディーはただでさえ気持ちが読みにくい。十年以上一緒に暮らしているサマラだって、時々ディーが何を考えているかわからないのだ。夫婦のこととなれば尚更だ。

「えぇ~? アリセルト閣下ってそんな性格か? 未練とは無縁ぽそうだけど」

 レヴは懐疑的な目を向ける。サマラは「そんなのわかんないでしょ。男と女の仲は一筋縄じゃいかないんだから」と腕を組んで答えた。

 サマラはディーに幸せになってもらいたい。彼が望むなら母親と三人……レヴを入れて四人でこの屋敷で暮らすことも受け入れようと思う。

 自分を捨てたナーニアのことは当然憎んでいるけど、そのぶんディーがたくさんの愛情をくれたから転生サマラは腐らずに済んだ。ならば今度はその恩をディーに返すときだ。

「私だってもう子供じゃないもん。お父様には自分の幸せを優先してもらいたい」

 そう言ってサマラは膝の上に置いていたプレゼントを握りしめる。ラッピングの中身はサマラが作ったクラヴァットピンだ。この時期の伝統的な誕生石でもあり、妖精が好む鉱石でもあるブラウンジャスパーをあしらってある。

 しかしせっかくこの日のために用意したのに、誕生日どころではなさそうだ。こんな雰囲気でハッピーバースデーなどと呑気に言える勇気はない。

 窓の外は陽が沈み、もう真っ暗だ。十八時から晩餐の予定だがどうしたものかと思っていると、レヴがふと何かに気づいて窓辺へ駆けていった。

「おい。篝火焚いたか? 今日サウィンだぞ」

「あ! いけない!」