それは、10月31日の夕暮れだった。

 今日は夏の終わりの祝祭・サウィン。そしてディーの誕生日だ。サマラから誕生会へ招待されたカレオはプレゼントを持ってアリセルト邸へ向かう。屋敷の少し前で馬車を降り、門扉へ近づいていったときだった。

「ん?」

 門の前に、人影を見つけた。女性のようだ。ボンネット帽を被っているので顔は見えないが、門の中に入ろうとしてためらっているのかウロウロしている。

「こんばんは。アリセルト閣下に御用ですか?」

 カレオは女性に声をかけてみた。不審人物か確かめる意図もあったし、客人だったら困っているのなら助けようと思って。――しかし。

「あ、あの、私……」

 振り返った女性の顔を目に映し、カレオは一瞬言葉を失う。そして温厚な彼らしくない険しい表情をみるみる浮かべた。

「あなたは……」

 女性は相手がカレオだと気づくと明らかに戸惑い一歩後ずさったが、勇気を振り絞るように唇を引き結んで顔を上げた。


***


「……本音を言えば閣下にその手紙を渡したくありませんでした。けど渡さなかったところで今度は本人が訪ねてくるだけでしょうし、そもそも俺が口を挟むことではないとわかっています。……わかっているけど、言わせてください。どうか慎重な判断を」

 ディーの書斎で、カレオは暖炉の前に立ち苦渋を滲ませた顔で言う。ディーは椅子に座りなんの感情も浮かべないまま、渡された手紙を読み進めていた。

 封筒にある差出人の名前は――ナーニア・バーレス。
 手紙には、ディーと復縁し家族三人で暮らしたい旨が記されていた。

 ナーニアはあれからバリアロス王国を遠く離れた小国で、幼馴染の男と暮らしていたそうな。しかし一年ほど前に男と別れ、今はひとりなのだという。

 手紙には、独りになったことで自分の犯した罪の重さに気づいた。そんなときバリアロス王国でディーやサマラが魔人を倒したと聞き、ふたりに会いたくてたまらなくなった……と書かれている。

 ディーへの謝罪もサマラへの謝罪も綴られていた。そして、妻として母としてやり直したい。復縁が叶わぬならせめてサマラだけでも引き取りたい、母親には娘と暮らす権利があるのだから、という内容で締められていた。

 十七年越しの謝罪が霞むような身勝手な内容に、カレオは憤怒せずにはいられない。

「……っ、閣下の苦しみもサマラ様の淋しさも知らないくせに……!」

 そう吐き出したい気持ちを、噛みしめた奥歯で潰して口を引き結ぶ。第三者である自分がそれを言うのは驕っていると自戒するが、それでも親友とその娘を一番近くで見てきたからこそ怒りが抑えきれない。

 妻を失ったあとのディーの濁った瞳を、『忘れないで』とディーにしがみついて泣いていたサマラの姿を、カレオだけが見てきた。その痛みを知らないナーニアに母を名乗る資格はあるのだろうか。

 しかし。

「……死ぬまでに一度会わねばと思っていたところだ。ちょうどいい」

 ディーはそう呟いてペンを取り、ナーニアへの返事を書き始めた。カレオは目を丸くする。

「会うのですか?」

「伝えたいことがある」

 ディーは怒りも悲しみも窺わせず、ただ淡々とそう返した。カレオは理解できないといった眼差しを向けたあと、嘆息して視線を外した。

 別れたとはいえもとは夫婦だ。今でもディーとナーニアの間には他人が入り込めない何かがあるのかもしれない。

 友人としてそこまでは踏み込めないもどかしさにこぶしを握りながら、カレオは書斎から出ていった。