妖精の世界に於いて、夏が光なら冬は〝闇〟の季節だ。
 十月三十一日のサウェン祭を皮切りに腐敗の妖精や冥界の女神らが姿を現し、人々は家に籠って火を囲み厳しい冬を越すのが習わしになっている。

 しかし、人間界に於いて秋から冬は華やかな季節だ。社交界全盛期のこの季節はあちらこちらで狩猟祭やら舞踏会やら開かれ、貴族たちは着飾って毎日忙しなく出かけていく。

 十二月のある晩。
 冬至に向けて準備をしていたアリセルト邸に、客人が訪れた。

「あー寒い、寒い。まったくこんな季節に夜会なんかやるもんじゃないですよ」

 家事妖精に居間に案内されながら、厚手の外套に身を包んでブルブルと震えているのはカレオだ。

 温暖なリンピン国出身の彼はめっぽう寒さに弱く、居間に通されるなり暖炉の前へと一目散に向かった。

 火が弱かったのか、カレオは辺りを見回すとラックに置いてあった薪を手に取りそれをくべようとする。すると。

「こら、それはユール用のカバノキの薪だ。くべるなら左側にあるブナの薪を使え」

 部屋に入ってきたディーに叱られ、カレオは眉尻を下げて笑いながら素直に薪を取り直した。

 薪をくべ火を整えたカレオはようやく外套を脱ぎ、振り返って改めて挨拶をする。

「おじゃまします、閣下。それにサマラ様」

「いらっしゃいませ、カレオ様」

 ディーのあとにくっついてやって来たサマラは、トレイに載せた湯気の立つカップをテーブルに置いた。

「カモミールのお茶をどうぞ。温まるしお酒を飲んだあとは、スッキリしますよ」

「ありがとうございます。サマラ様は優しいなあ」

 いそいそとソファーに座りカップを手にするカレオの格好は、いつもの騎士団の制服と違いパーティー用の正装だ。舞踏会の帰りらしい。滅多に社交界に顔を出さないディーと違い、カレオはこの時期それなりに夜会や狩猟祭にも出席している。俗世間と一線を画す魔法使いと違い、普通の貴族ならば社交界での交流は避けようもないからだ。

 人嫌いのディーと違ってカレオは社交界に出席すること自体は嫌いではない。ただし寒い季節の馬車移動と、〝煩わしい話題〟さえなければ、だが。

 カレオの向かい側に腰を下ろしたディーはすぐさま眉間に皴を寄せ、手で宙をパタパタと仰ぐ。

「臭い」

 直球に失礼な物言いだが、心当たりのあるカレオは「すみません……」と申し訳なさそうに上着を脱いだ。
 ディーの隣に座ったサマラにもわかる。これは香水の匂いだ。カレオからは人工的な甘ったるい匂いがプンプンとしている。

「どうせ女につけられたのだろう。まるでマーキングだ」

 そう言うとディーは立ち上がって歩いていき、部屋の窓を大きく開いた。せっかく温まった室内に冷たい風が吹き込み、カレオは「ひゃぁあ」と叫んで身を竦める。

「お父様! カレオ様が可哀想でしょう!」

 慌ててサマラが窓を閉めに行くと、ディーは「妖精が嫌がっているだろうが」とフンと鼻を鳴らした。

 妖精は天然植物由来のお香の匂いは好む者も多いが、アルコールや動植物の成分が混じった香水は嫌う者が多い。確かにサマラの目にも、忌々し気な顔をしている花の精や鼻を摘まんでいる風の精の姿が見える。

「風呂を用意するからその匂いを落としたら呼べ」

 そう言い残してディーは部屋を出ていってしまった。サマラは窓を閉めなおして暖炉に薪を加えると、「ごめんなさい、お父様が失礼で……」といたたまれない気持ちで、寒そうに腕をさすっているカレオの向かいに座った。

「ははは。いいんですよ、慣れてますから」

 ディーの塩対応に一番慣れているのは間違いなくカレオだろう。もう十八年以上の付き合いになるのだ。親友の性格は知り尽くしている。

(カレオってば、よくあのディーと親友なんて続けてられるよね。懐が深いというか人が良すぎるというか……)

 つくづく思っていると、ようやく腕をさするのをやめたカレオが今度はクンクンと自分の匂いを嗅いで「確かに今日は一段とキツイですね」と苦笑を浮かべた。

「でもカレオ様がつけた香水じゃなく、女性から移された香りなんでしょう?」

「まあ、そうですけど」

「モテるのね、カレオ様ってば」

 フフッと悪戯っぽく笑えば、カレオは「閣下ほどじゃありませんよ」と肩を竦めてみせた。