「何か嫌なことでもあった?」
「え?」
「ため息、もう七回目だから」
「すみません……」

 翌日。仕事帰りにお邪魔した小泉さんの部屋。彼は困ったように笑って、熱いコーヒーを淹れてくれた。

 小泉さんは優しい。大学のサークルで出会った時から、いつも優しく笑いかけてくれた。とても紳士で、爽やかで、彼に憧れている女の子は大勢いた。そんな小泉さんと、社会人になってからも縁が切れず、たまに食事に行ったりするだけでも充分幸せだったのに、まさかお付き合いできるなんて。一生分の運を使ってしまったくらい、幸福なことだ。
 だからこそ、彼には迷惑をかけたくない。

 出そうになったため息を、口を閉じてぐっと堪える。七回のため息は完全に無意識の産物だとしても、八回目ともなれば優しい小泉さんをますます困らせてしまう。そんなことは絶対にあってはならないのだ。

「何か心配ごとがあったら言ってね」
「はい、ありがとうございます……」
 わたしは小泉さんに見えないよう、右の拳をぎゅうっと握り締めた。

 聞いてください、小泉さん! 心配事というか気になることというか、あいつのことなんです、あいつです、秋人! 昔から口も意地も悪いやつだって分かっていたんですけどね。昨日小泉さんのことを話しに行ったんです。意地が悪くても、十年来の腐れ縁だし、わたしの人生において欠かせない人物であることは確かなので、報告して喜んでもらおうと思って。そうしたらあいつ、何て言ったと思います? なんでわざわざ報告しに来てんだよさっさとダーリンの所行け、ですよ! あいつがわたしに笑顔で「おめでとう」なんて、今まで一度も言ったことがないですが、情に厚いやつなので、今度ばかりはって期待したのに。とんだ期待外れでした! それがどうにもむしゃくしゃして、そりゃあため息も出ますよ!

 心の中でそう叫び、小泉さんにありったけの笑顔を向ける。
 今までなら簡単に言えたと思う。小泉さんと秋人も大学時代からの知り合いだし、あいつが居なくてもよく話題に上っていた。話すのは主にわたしだけれど、小泉さんはいつも「仲が良いねぇ」と笑っていた。
 けれど小泉さんと恋人同士になった途端、あいつの話をするのを躊躇ってしまう。ただの腐れ縁の男を、小泉さんほどの人が気にするわけもないのに……。