心霊部へようこそ!

 わたしや都子ちゃんは首をかしげていたけど、晴人センパイと太刀風さんについていく形で道を進んだ。ふたりが立ち止まったのは、都子ちゃんがさいしょにマンションはこのあたりのハズと案内した場所である。
 ――ここにはなにもなかったんじゃ?
 そう思っていたけれど、わたしが視線を送るとまるで浮かび上がるようにマンションの建物が現れた。
「晴人センパイ! ここ、さっきまでなにもなかったハズじゃ!?」
「前に話しただろう、灯里。逢魔が時ってやつだ」
「夕方の、オバケとかが出やすいっていうやつですよね?」
 晴人センパイがうなずく。そんな時間に急に出てくるマンションって――。
 いやな予感はマンションに近づいていくにつれ、つよくなっていく。
 首筋はピリピリ痛いし、マンションの方からふいてくる風が肌にささるようだった。
 都子ちゃんも、いような空気にとまどっている。
「あたしが前に来たときは、こんな感じぜんぜんしなかったのに……」
「都子さんが来たときは、言うなればマンションがふたりをさそっていたのだろう。今はいなくなった子をマンションに取り込んでいるから、だれも近づけたくないのだろうな」
『いやぁ、それにしてもこりゃあけっこうなモノがいるぞ』
 門吉さんもわたしの背後から抜け出して、マンションを見て言った。
 怖いけど、クラスメイトの子を助けなきゃ。
 だいじょうぶ、お守りもお札もある。きっとうまく行く!
「これはまがまがしい……ゆだんはできぬ……」
「あたしもビリビリ来てるわー、ホントヤバイねー!」
 太刀風さんはうでまくりして、雪乃さんは逆水晶を取り出した。
 マンションのすぐそばまで来たとき、晴人センパイがみんなを前にして言った。
「見ての通り、かなりのいわくつきマンションだ。ここはひとつ作戦を取ろうと思うんだが、いいか?」
「はい、センパイ!」
 みんながうなずくと、晴人センパイがつづけた。
「マンションも、そのまわりにも霊が集まっている。オレたちのジャマをするだろう。そこで雪乃にはマンション前で降霊を行なって、辺りの雑霊を引き付けてほしい」
「センパイ、降霊ってそんなにたくさん集められるものなんですか?」
「いや、雪乃が一度に降霊できるのは一体までだ。ただ、身体を手に入れられるとなれば雑霊は一気にあつまってくるだろう。そこで、雪乃が降霊をして霊をあつめている間、都子さんには雪乃を守っていてほしい」
「あ、あたしですかっ!? でもあたし、ユーレイとかぜんぜんわからなくて」
 とまどう都子ちゃんに、晴人センパイが落ち着かせるようにしずかな声で言う。
「だいじょうぶ、お札とお守りがあるだろう。雪乃のそばでそれをかざしていてくれ。よわい霊はそれで雪乃の中には入れなくなる。万が一、雪乃に何か取りついてしまったら、この符を雪乃のひたいに当ててあげてくれ」
 そう言って、晴人センパイが都子ちゃんに符を一枚わたした。
「わ、わかりました! がんばります!」
 都子ちゃんがきんちょうした顔で符を受け取った。
「都子ちゃん、あたしのお守りよろしくねー!」
「がんばります、雪乃センパイよろしくおねがいします!」
 晴人センパイが太刀風さんの方を向いてつづける。
「太刀風、苦労をかけて悪いが太刀風は階段をつかって、問題の五階まで行ってほしい。都子さんたちはふたりで儀式を行ったという。オレと灯里でおなじことをやってみる。階段しか道がないんだ」
「……問題ない……五階で落ち会おう……」
「灯里は門吉さんについてきてもらいながら、オレと来てくれ。都子さんがやったエレベーターの儀式をオレたちでやるぞ。五階についたら太刀風と合流して、いなくなってしまった子を探すんだ」
「わかりました。エレベーターの儀式怖いけど、がんばりますっ!」
『なぁに、オイラがついてるんだから、安心しな嬢ちゃん』
 都市伝説の異世界に行く方法かぁ、怖いなぁ……でもしっかりしなきゃ!
 晴人センパイの指示で、みんなが動き出す。
 まず雪乃さんが、出入り口をさけてマンションのそばで座った。逆水晶のネックレスをつけて、降霊のじゅんびに取りかかる。都子ちゃんが、きんちょうした顔で雪乃さんのうしろに立った。
「じゃあ、やるからねー! マンションの雑霊はできるだけ引きつけるから、あとはよろしくっ!」
 雪乃さんがふぅぅっと息を吐いて降霊をはじめた。すると、すぐにマンションから黒い影がいくつも出てきて、雪乃さんの周囲をグルグルと回りだした。
「きゃあ! こ、こないで!」
 都子ちゃんがお札とお守りを両手に持って、雪乃さんを守る。
「よし、かなりの数を引きよせられたな。今のうちに行こう」
 晴人センパイがかけだし、わたしと太刀風さんもつづく。マンションの入り口を通ると、さっきよりも首筋にイヤな気配が伝わってくる。
「よし、エレベーターホールについたぞ。太刀風、階段はあそこだ。たのんだ!」
「しょうち……ではまた……」
 太刀風さんが階段に向かっていく。
 わたしと晴人センパイは、ならんでエスカレーターのボタンを押した。
 すぐにエスカレーターはやってきて『チンッ』という機械の音とともにとびらがあく。
「都子さんたちがやったようにやるぞ。オレが右足でエレベーターにのるから、灯里は左足でエレベーターにのってくれ」
「わかりました!」
『はぁー、今の時代はこんなものがあるのか。べんりだねぇ』
 門吉さんが感心したようにつぶやく。
「よし、行くぞ」
「はい!」
 お互いの足をかくにんし合いながら、わたしと晴人センパイがエレベーターにのる。
 わたしはスマートフォンを取り出して、エレベーターの移動順をたしかめようと思ったけれど、スマートフォンは圏外になっていた。
「えええっ、なんで圏外なのっ!?」
「霊が電波に干渉しているんだろう。問題ない、順番は覚えている。都子さんたちはエレベーターにのったら二階、六階、二階、十階、五階と移動したと言っていた」
「覚えてたんですか、さすがセンパイ!」
「スマートフォンは使えないかもしれないと思っていたからな。頭に入れておいた。太刀風だけを待たせるワケにはいかん。急いでやるぞ」
 晴人センパイが言うと、エレベーターのボタンを操作した。
 まずは二階。エレベーター特有のあがっていく感覚が短い時間わたしをつつむ。
 背中を冷たい汗が流れる。ううん、これ本当に汗なのかな。もっと冷たい何か――。
 二階でドアがひらき、何ごともなくしまる。次は六階。
 さっきより長い間エレベーターがあがっていく。心臓が怖さでドクドクいっている。
 六階でドアがひらき、またしまる。
 つづいて二階のボタンを押すと、エレベーターがゆっくり降りていった。
「今のところ、何も起きませんねセンパイ。ただ、すごくイヤな予感がします」
「灯里もか、オレもこれは危ないなと思いはじめたところだ」
 そう言って、晴人センパイが符を左目に貼った。これでセンパイにも霊が見える。
 それだけ、何かイヤな気配が近くなってきたということであろう。
 二階。ドアが開き、しまる。次は十階だ。
「都子ちゃんのときもそうだったみたいですけど、だれものってきませんね」
「マンション自体使われていないのかもな。そう考えると電気が通っていることが不思議ではあるが……」
『気をつけろよー、いやぁ~な感じがしてきたぞぉ』
 門吉さんが顔をしかめた。エレベーターの中はこんなに寒かっただろうか。
 背中が冷たい風に吹きつけられているように冷える。身体がふるえてしまいそうなのを、全身に力を入れてガマンした。
 十階に着いた。ドアがひらいて、とじる。
 いよいよ次が都子ちゃんといなくなってしまった子が怪異に出会った五階だ。
 晴人センパイの指が、五階のボタンを押した。
 ゆっくり、ゆっくりとエレベーターが下がっていく。
 エレベーターってこんなにおそかったっけ――?
 そう思うほどに、時間が長く感じられた。
「センパイ……!」
「何か起きそうだな、注意しろ灯里」
 晴人センパイはすでに右手に符を持っている。わたしもお守りをぎゅっとにぎりしめた。
 五階。到着した。ここで、都子ちゃんたちは黒い何かにおそわれたと言っていた。
 ギギギギギッ。
 都子ちゃんが話していたのとおなじように、急にドアがきしみ、いびつな音をたてた。
 ゆっくり、ぎこちなくドアがひらいていく。首筋に感じるイナな予感は、すでに痛いほどだった。
 もうすぐドアがひらいてエントランスが見える、と思ったとき、黒い影がエレベーターに入り込んできた。
「うわっ!? もう出たっ!?」
「いきなりきたな、この……!」
 晴人センパイが符をかまえる前に、黒い影はこなごなになって消える。
 きしんだ音をたてていたドアがひらくと、太刀風さんの姿があった。
「思ったよりもひさんだ……気をつけよ……」
「そのようだな」
 エレベーターを降りた晴人センパイが言う。わたしも続いてエレベーターを降りる。
「そんな、なにこれ!?」
 エントランスは、ううん、マンションの中は黒いオバケがそこらじゅうにひしめいていた。何十、もしかしたらそれ以上の数の悪霊が、うごめきあっている。
「こんなところで待たせてすまなかった、太刀風」
「いや……異変はエレベーターがついたときに起きた……今さっきだ……」
「ということは、やはりこの儀式で何かを呼んでしまったか、どこかにつながってしまったか。それにしてもキリがないな」
「こんな数のオバケ、ど、どうするんですか!?」
 黒いオバケたちはわたしたちに気づいたのか、ゆっくりと影を近づけてくる。
 晴人センパイが、わたしの手に何かをにぎらせた。
「符だ。灯里はそれを持って、いなくなった子を探しに行け! バケモノがこれだけ群れるということは、リーダーがいるはずだ。そいつを符でおさえ込むんだ」
「えっ、わたしがですかっ!? センパイたちもいっしょに」
「ここでやつらを防がねば……進めまい……」
「だけど……」
 わたしがとまどっている間にも、影はすぐそこまでせまってくる。
「灯里のカンがたよりなんだ! これだけ悪霊がいたら、どんなに探したって探しきれない。取りつかれ体質の灯里が一番いやだと感じる場所にここの親玉がいるはずだ。そいつがいなくなった子を捕まえているはずだ。門吉さんといっしょに、それを見つけていなくなった子を助け出せ」
「月城……行くのだ……」
 わたしの取りつかれ体質といやなカン。
 いっつもわたしを不幸にしていたものが、だれかの役に立つのなら。
 晴人センパイが、わたしを信じて行けというのなら。
 雪乃さんが、都子ちゃんが、晴人センパイが、太刀風さんががんばってる。
 わたしだって、やるしかない!
「わかりました、行きます! ぜったいに、いなくなってしまった子を見つけて戻ります!」
『よぅし、いっちょ大仕事だな。いくぜぇ、嬢ちゃん!』
 晴人センパイがうなずいた。わたしは呼吸をととのえて、カンをはたらかせる。
 どこにイヤな気配があるか。どこに一番大きな何かを感じるか。
 ゾクゾクと悪寒が走る。どこから――? ろうかのおく。その向こうだ。
「晴人センパイ、ろうかのおくから何か感じます!」
「よし、そこまではオレと太刀風で道をあける。たのむぞ!」
「もっともむずかしい仕事……月城の武運を祈る……」
 晴人センパイと太刀風さんがかけだしていく。
 晴人センパイの符が、太刀風さんのこぶしが悪霊をはらっていった。
 その道を、門吉さんとともに進む。ろうかに出たところで、晴人センパイと太刀風さんが止まった。
「オレたちはここで悪霊を食い止める。行って来い!」
「南無……世のことわりに背くものども……はらうべし……」
「はい、行ってきます! ふたりとも、どうか無事で!」
 かけだそうとしたわたしの背中に、晴人センパイの声がとんだ。
「しっかりな、灯里。どうしてもムリなら、灯里だけでもかえってこい。オレはここで待っている。いいな、必ずかえってこいよ、灯里!」
「はいっ!」
 晴人センパイの言葉を受けて、暗いろうかをかけだした。
 どこからか飛んでくる悪霊は門吉さんが手ではじくようにおいはらってくれる。
 だけど、どんどん進むにつれて道が暗く、黒にそまっていく。やがて、わたしの目にはどこが通路でどこがカベなのかさえわからなくなっていった。
「真っ暗すぎて何も見えない……。門吉さん、どうしよう?」
『嬢ちゃんの目には、ちぃと暗すぎるか。今明るくしてやるから待ってろ。でも、腰を抜かすなよ』
 門吉さんがパチンと指を打ちならすと、門吉さんの回りにいくつも人魂がうかんだ。
 これじゃまるっきり絵本のユーレイだ。けれど、その人魂はとても明るくて、電灯のように辺りをてらしてくれる。
 くっきりと見えるようになったろうかのおくは、びっしりと黒いオバケでうめつくされていた。
「きゃっ!? 晴人センパイと太刀風さんが止めてくれているのに、まだこんなに……」
『このでかい長屋全体が、ユーレイもどきみたいなのにつつまれてるな。こりゃあキリがねぇぞ。はやく嬢ちゃんのカンで親玉とやらを見つけてくれや』
 門吉さんが飛んでくるオバケをひょいひょいと投げとばしながら言う。
 ユーレイやオバケに囲まれた世界。信じられない光景。
 こんなの、ぜんぶただの悪い夢なんじゃないか。そう思ってうずくまりたくなる、よわい気持ちを必死になって立て直す。
 やらなきゃダメだ。みんながんばっている。わたしだって、やらなくちゃ。
 気持ちを集中させる。イヤな気配。どこから来るんだろう。
 おく。もっとおく。進んでいく。
「つっ!?」
『どうした、嬢ちゃん?』
 首筋に焼けるようなねつが走った。
 ここだ。
 わたしがカベのほうを向くと、門吉さんが人魂をカベのそばによせてくれた。
 ドアには五〇四号室と書いてある。
「門吉さん、ここ。このへやのおくからすごいイヤな感じがするの」
『ってことは、いなくなっちまった子も、親玉もここにいるかもしれねぇな。やるしかねぇ、いくぞぉ嬢ちゃん!』
「うん、門吉さん、行こう!」
 五〇四号室のドアをひらく。ごうっとつよい風がわたしの全身をうった。
 中に入る。キリのように悪霊があふれている中を、門吉さんの手でかきわけて進んでいく。お守りやお札のおかげか、わたしにふれてくる霊はいない。
 符を右手でにぎりしめたまま、ゆっくりと進む。カンをとぎすまそうとしたとき、わたしの耳にかすかな女の子の泣き声が聞こえた。
「門吉さん、この声!」
『ああ、きっと悪霊にとっつかまった子が泣いてるにちげぇねぇ』
「このドアの向こう……、待ってて!」
 ドアを開く。ふかいふかい真っ黒がひろがってる。その中に、数え切れないほどの目がびっしりとへやの中をうめつくしていた。
 地面、カベ、天井。いたるところでうごめく目が、いっせいにわたしを見る。
「ひっ!?」
『ここがふんばりどころだ、嬢ちゃん!』
「う、うん……行かなきゃ!」
 泣き声に向けて歩いて行く。ヘヤ中の目が、わたしをおっている。
 マンションの一室の中に、なぜこんな広い空間があるのだろう。
 すこしずつ泣き声が近くに聞こえてくる。もう少しだ。
『嬢ちゃん! アレだ!』
 門吉さんが声をあげ、人魂を前へとばす。
 明かりにてらされた先には、全身を目でうめつくした黒いかたまりがあった。
 頭や手足のようなものが生えていて、その手足が女の子をしっかりとつかまえている。
「きっとあの子だよね、助けなきゃ! ……きゃあ!?」
 女の子を助け出そうと近づいたわたしが、黒いうでに押された。背中からたおれこみそうになったわたしを、門吉さんが支えてくれた。
『だいじょうぶか? 嬢ちゃん!』
「うん、ありがとう門吉さん。でも、あの子に近づけない!」
『ここはオイラに任せとけ! よぅし!』
 門吉さんがうでまくりすると、大きなオバケめがけて飛んで行った。
 オバケの両手が門吉さんに伸びる。その手を、門吉さんの手が受け止める。取っ組み合いになるような形で、オバケと門吉さんが向かい合った。
『今だ、嬢ちゃん! その子をこいつの中からひっぱり出せ!』
「わかった! しっかりして! こっちに……うっ、足がジャマで抜けない」
「おねがい、助けて! 助けて!」
 女の子が泣きながら言う。その下半身を、オバケの足がしっかり抱え込んでいた。
 門吉さんはオバケのうでをおさえこむのでせいいっぱいだ。どうしたら――。
 符。
 にぎりしめた符の存在を思い出す。晴人センパイがくれた符。
 今オバケは手を門吉さんにおさえられ、足は女の子をつかまえていて動けない。
 この符をつかって、オバケをなんとかすることができるかも。
『ぬっ、ぐぐぐぐぐ……』
 組み合っている門吉さんが、苦しそうな声をあげる。
 迷っている時間はない。
 わたしは符をつきだすようにして、オバケめがけてかけ出した。
「たぁぁぁぁぁ!」
 オバケの頭めがけて、おもいきり右手をつきだす。
 符が風船のようにはじけた。オバケの頭もぐらりとゆれる。
 オバケの身体がよろめき、女の子が床に放り出された。
「しっかりして! 立てる?」
「う、ん……身体に、力が入らなくって……」
『嬢ちゃん! 先にいってろぉ!』
 女の子を支えるようにして、出口をめざす。
 だけど、さっきとちがって悪霊たちがどんどんよってくる。
「どうして? あっ!?」
 ポケットの中に入れたお札がやぶれかけていた。お守りも、真っ黒によごれている。
「さっき、あの大きなオバケとたたかったせい? とにかく、今はにげなきゃ!」
 よわった女の子をつれて、なんとかへやの出口を目指す。
 やぶれかけたお札を右手でかざし、左手と肩で女の子を背負うような形で歩く。
 一歩一歩、進んでいくしかなかった。
「お願い、なんとか門吉さんが戻ってくるかセンパイたちのところに行き着くまで、がんばって!」
 お札に言い聞かせて、ろうかをこえる。
 目の前のげんかん、女の子を支えるうでがしびれてきていた。だけど、あと少し――。
「出れたっ!」
 なんとかドアをあけて、五〇四号室を出る。
 けれど、五〇四号室からわたしたちをおってたくさんの悪霊がやってきた。
「こないでっ!」
 すぐ目の前。
 悪霊の手。
 せまってくる。
 わたしは女の子を抱きしめるようにして守って、お札をつきだす。
 右手ににぎっているお札の感覚が消えた。お札はわたしの手の中で、はいのようになって散っていった。
「ウソでしょ!? きゃあああ!?」
 お札がなくなり、前から後ろから悪霊が押しよせてくる。
 なんとかしなきゃ! でも、もうお守りも真っ黒でつかえない。
 悪霊が大きな口をあけて、わたしの顔にせまってきた。
 視界が悪霊でいっぱいになって――。
「急急如律令! 悪霊の怪異を消滅せん! はぁぁ!」
 晴人センパイの声。わたしのまわりにいた悪霊たちが、いっせいにきえていく。
「待たせたな、灯里」
「晴人センパイっ!」
「いなくなってしまった子も見つけたようだな、よくやった」
 晴人センパイが、わたしの頭をなでてくれた。思わず、晴人センパイに身をよせる。
 心地よい安心感。でも、まだおわっていない。
 わたしと女の子をかばうようにして、センパイが符を使い悪霊をしりぞけていく。
 そして、もうひとり。
「南無……!」
 太刀風さんが、両腕のこぶしをつかって悪霊たちをなぐりとばした。
「エントランスの悪霊は片づけたゆえ……加勢に参った……」
「そういうことだ、灯里。太刀風、この子をたのむ。いいかいキミ、このお兄さんにおぶってもらって」
 太刀風さんが女の子をおぶり、ここから出る体制はととのった。
 あとは門吉さんだけ。
「門吉さん、もうだいじょうぶ! お願い、戻ってきて!」
 遠くから、門吉さんの声が返ってくる。
『こいつをおさえるので手いっぱいだぁね! お前ら先に行ってろ!』
「門吉さんを置いていけないよっ!」
『だいじょうぶだ! オイラは今、嬢ちゃんに取りついてるんだぜ。宿主が無事ならどうにでもしてみせるさぁね。ほれ、さっさと行け!』
 門吉さんが動けない。どうしよう?
 晴人センパイに助けに行ってもらう? でも符は一回つかっただけではじけてしまった。
 わたしが立ちつくしていると、五〇四号室からどんどん悪霊がわきだしてくる。
「キリがない。ここは門吉さんを信じて行くしかない!」
「でもっ!」
「雪乃だっていつまでも持たない。まよってる時間はないぞ!」
「門吉どのは……きっと戻ってくる……まずはこの娘の救助が先だ……」
 わたしはぎゅっと手をにぎりしめて、五〇四号室のおくに大声で言った。
「門吉さん、ぜったいぜったい戻ってきてね! 先に外で待ってるから! ぜったいだよ!」
「よし、切り抜けるぞ!」
 晴人センパイにつれられて、暗いろうかをかける。
 エントランスまでくると、ほとんど悪霊の姿はなかった。センパイや太刀風さんがやっつけたのだろう。
「エレベーターをつかいたいところだが、さすがに危険だな。階段で行くぞ!」
 四階、三階、二階、どこにも悪霊はいたけど、晴人センパイと太刀風さんがはらいながら進んだ。一階までついたとき、わたしは息があがっていた。
 でも、あと少し。出口、見えた。
 走った。
 わたしの後ろに晴人センパイが、そして女の子を背負った太刀風さんがつづく。
 太刀風さんが女の子をおぶって外に出たしゅんかん、わたしの中で記憶が戻った。
 いなくなってしまった子の名前。
 この子は、豊吉 美景(とよし みかげ)ちゃんだ!
「晴人センパイ! たった今、あの子の名前、顔、ぜんぶ思い出しました!」
「やはりこのマンションがその子の存在をかくしていたのか」
「記憶は戻った……あとは雪乃を救うことだ……」
 晴人センパイたちとともに、雪乃さんのもとへ急いだ。
 雪乃さんのまわりを、たくさんの悪霊がグルグル回っている。
 それを、都子ちゃんがお守りやお札で必死に防いでいた。
「灯里! それに……美景ちゃん! 思い出した! 美景ちゃんだ!」
 わたしたちの顔を見て、都子ちゃんが笑う。
 美景ちゃんをわたしにあずけると、太刀風さんが悪霊のうずまく中に飛び込んでいく。
 あっという間に一匹、二匹と悪霊をなぐりたおしていった。
「雪乃、もういい。戻れ、はっ!」
 晴人センパイが雪乃さんのひたいに符を当てた。ガクンと首を前にかたむけたあと、雪乃さんがゆっくりと顔をあげる。
「はーっ、めっちゃめちゃつかれたー。お、見慣れない子がいるー。ってことは作戦成功ってワケ?」
「ああ、ぶじに助けることができた。それに、灯里や都子さんの記憶も戻った」
「おおー、万事解決じゃん!」
 雪乃さんがつかれた顔で笑った。たしかにいなくなってしまった子――美景ちゃんを取り戻すことはできた。だけど、まだ門吉さんが戻ってこない。
 都子ちゃんが美景ちゃんに飲み物をあげて、今までおきたことを話している。
 晴人センパイは雪乃さんに改めておはらいをしていた。
 じっと門吉さんを待っていると、都子ちゃんが大きな声をあげる。
「灯里、マンション見て!」
 顔をあげる。しずみそうなお日様の光の中で、ゆっくりとマンションがとうめいになっていく。
「あれって、どういうこと?」
「悪霊をはらったゆえか……この子を取り戻したからか……または門吉どのが元凶である悪霊を退治したのか……」
「おそらくあのマンションそのものが、大きな霊だったんだろう」
 あれほど大きなマンションひとつが、ぜんぶ悪霊だったなんて――。
 大きなマンションは、わたしたちの前でオレンジ色の日差しをうけて消えた。
 でも、門吉さんが戻ってこない。
 まさか、マンションといっしょに門吉さんまで消えちゃったの?
「門吉さーん!!」
 マンションが消えて空き地になった地面を見つめて、大きな声で呼ぶ。
『あいよぉ!』
 とつぜん、地面の中からひょっこりと門吉さんが顔を出した。
「門吉さん、無事だったのね!」
『おうおう、だいじょうぶって言っただろぉ。あのバケモノ、ぶんなぐってやったぜ』
「良かった! 良かったよー!」
『おいおい、泣くなよ嬢ちゃん。オイラはどうってことねぇ。心配かけてわりぃな』
 門吉さんはユーレイだから変な感じだけど、わたしは門吉さんを抱きしめるようにして泣いてしまった。そんなわたしを門吉さんが落ちつかせてくれる。
 晴人センパイも、ふぅっと息をはいた。
「門吉さん、安心したよ。このままじゃビールをお供えできないかと思ったからな」
『はっはっは! オイラが酒をのむ前に消えられるかっての!』
「門吉どの……無事で何より……。あとはこの娘を送り休ませることだな……」
 都子ちゃんが美景ちゃんを家まで送ることになった。
 長い時間降霊をしていた雪乃さんもフラフラだったので、太刀風さんが家まで送っていくという。
 わたしは晴人センパイといっしょに中央公園に行って、お地蔵様のところへ行った。
「門吉さん、今日は本当にありがとう」
『良いって、良いって。あ、でも酒は忘れるなよ、あとタバコもな!』
「わかっているよ。近いうちに父さんにとどけてもらうよう言っておくから」
『おう! しっかり言っといてくれよ! はっはっは!』
 門吉さんの元気な笑い声を聞いて、わたしは安心して地面にへたりこんでしまう。
 終わった。とってもたいへんだったけど、みんなのおかげでなんとか美景ちゃんを助けることができたんだ。
『嬢ちゃん、だいじょうぶか? 嬢ちゃんやガキは生身なんだからつかれただろ。今日はもうかえってゆっくりするこった』
「お言葉に甘えるよ、門吉さん。今日は大仕事だったからな。灯里、立てるか?」
「な、なんとか」
 晴人センパイの手をかりて、なんとか立ち上がる。
 センパイは心配だからと言って、わたしを家のマンションの前までおくってくれた。
「今日はよくやったな、灯里」
「いえ、門吉さんやセンパイやみんなに助けてもらってばっかりで」
「美景さんを見つけたのは灯里だ、もっと自信を持て。……がんばったな」
「センパイ……」
 晴人センパイがおだやかに笑う。
 センパイに見送られて、マンションの入り口を通った。
 自分の家にかえると、わたしは「ただいま」とつげて早々にへやに入る。
 身体がつかれきっている。大きく息をはいて、ベッドに横になった。
「マンションそのものが、ユーレイだったなんて」
 美景ちゃんを助け出すことはできた。
 でもそれは、都子ちゃんがかろうじて美景ちゃんのことを覚えていたから。
 もしも。
 もしも今までもだれかがあそこにまよいこみ、消えていってしまっていたとしたら――。
 そう考えると、あまりの恐ろしさにわたしはふるえを止めることができなかった。