「ごめん。確かに、満留さんは大人の女性
かも知れないけどさ、俺も男だから。こうい
う時、女に出させたくないってゆーか、カッ
コつけさせて欲しいってゆーか」

 鼻筋を擦りながら満が、つい、と横を向く。
 その横顔は、照れているのか拗ねているの
かわからないけれど、年の差など関係なく満
が男として自分にやさしくしようとしている
のが、わかる。わかれば、なんだか胸の奥が
こそばゆかった。彼にやさしくされるのは嬉
しいのに、なぜか切ないような……そんな気
がしてしまうのだ。どんなに二人の距離が縮
まっても、傍目には年の差があるように見え
なくても、九年という年月は決して埋まらな
いからなのかも知れない。

 そんなことを思って知らず俯いてしまった
満留の耳に、突然「あ」と、満の声が飛び込
んでくる。その声に顔を上げれば、これから
渡ろうとしていた横断歩道の信号が、チカチ
カと点滅を始めたところだった。

 「満留さん。渡っちゃおう!」

 そう言ったかと思うと、ガシリと満留の手
を掴んで満が走り出す。

 「ちょ……っ!!」

 満留は引っ張られるまま、擦れた白線の上
を走ってゆく。信号待ちの車内から幾人もの
ドライバーが自分たちを見ている気がして、
恥ずかしかった。ヘッドライトの光の中を満
と駆け抜けると、信号を渡り終えるか終えな
いかのところで赤に変わり、やがて車が一斉
にエンジンを吹かした。

 「ごめん、大丈夫?」

 大通りの信号を渡りきると、満は歩きなが
ら満留の顔を覗いた。満留は「うん」と頷い
た瞬間にくすりと笑う。信号を渡り終えても
まだ、満留は満に手を引かれていた。

 「どうかした?」

 くすくす、と可笑しそうに笑う満留に満は
首を傾げる。二人は川沿いの三叉路を左に進
み、人影のない住宅街を歩き始めていた。

 「……ううん。あのね、急に満くんが走り
出したから怖かったの。靴が脱げないか冷や
冷やしちゃった」

 「靴?」

 「うん。この靴ね、履き古してるからか
ちょっと緩いんだ。今日も大学の階段で脱げ
て、転げ落ちそうになって」

 「マジで?危ねーじゃん」

 「でもね、間一髪、一緒にいた物理の先生
が抱き留めてくれて助かったの。あのまま落
っこちてたら、二人とも怪我してたかも」

 そう言って肩を竦めた満留に、満が表情を
止める。ふいに妙な沈黙が流れたので、満留
は不思議に思って満を見上げた。

 瞬間、満と視線が絡み合う。
 向けられる眼差しが切なげに揺れたように
見えたのは、気のせいだろうか?

 満は、ふい、とすぐに視線を逸らすと、
前を向いた。

 「その助けてくれた先生ってさ、もしかし
て男?」

 「うん、そうだよ。物理学の准教授」

 「……へぇ。偉い先生なんだ」

 「偉いのかなぁ。先生の研究はすごく注目
されてるけど……でも見た目が個性的なの。
頭が爆発してて、髭が伸びっ放しで、前時代
的な丸いメガネしてて。先生が提出する書類
は抜け落ちばっかりで、いつもすごく手間が
かかるし」

 そう言って、思い出したようにくすくすと
笑うので、満も「なんだそれ、しょうもな」
と、苦笑いする。その時、正面から犬の散歩
をする男性が近づいてきたので、満留は咄嗟
に繋いでいた手をぱっと離してしまった。

 「ごめんね。手、引いてくれてありがとう」

 「別に。それよりうち、すぐそこだから」

 離した手をポケットに突っ込むと、満は川
沿いに立ち並ぶ戸建てに目を向ける。

 満留はこくりと頷くと、彼の体温を失って
少しひんやりする手で髪を掻き上げた。