満留は、起き上がった母の背に枕を差し込
むと、顔を覗き込んだ。

 「お母さん、もしかしてどこか痛むの?」

 入院してからずっとベッドに寝ているのだ。
 もしかしたら背中や腰が痛むのかも知れない。
 そう思って訊ねたが、どうやら違うらしい。
 母は無言のまま首を横に振ると、スライド
テーブルの上に置いてあったポーチに手を伸
ばし、中から鍵を取り出した。

 そうしてそれを、満留の掌に載せる。
 載せられたそれは、テレビ台の下にある
セーフティーボックスの鍵で、カールバンド
の先に部屋番号が記されたキーホルダーが付
いている。
 
 「……これって」

 満留はなんとなく嫌な予感がして眉根を寄
せると、母の顔を覗き見た。母が小さく頷く。

 「そこにね、お母さんの大事なものが入っ
てるの。お金とか、手帳とか、色々。だから、
この鍵はもしもの時の為に満留が持っていて」

 その言葉を聞いた瞬間、ざわざわと冷たい
ものが背中を駆け抜けて満留は肩を震わせる。
 どうしてそんなことを、そんな顔で言うの
だろう?母は頬を緩め、慈しむような目で
満留をじっと見つめている。

 「……ヤダよ、お母さん。そんなこと……
言わないでよ」

 満留は震える声で言うと、何度も首を横に
振った。いつの間にか溢れてしまった涙が、
ベッドに滴り落ちる。母の前では絶対に泣か
ないと決めていたのに。あんなに堪えてきた
というのに。努力が水の泡だ。

 「ねぇ、泣かないで。満留」

 ついに、ひっく、ひっく、としゃくりあげ
ながら泣き出してしまった娘の髪を、母が困
った顔をして撫でる。その手は、こんなにも
温かいというのに、どうして「もしもの時」
が来てしまうのだろう?


――お願いだから、死なないで。

――お願いだから、独りにしないで。


 そう、叫んでしまいたかった。
 けれど、そうすることも出来ずに、満留は
顔を覆ったまま、涙を零す。母のひと言で
抑えていた気持ちがすべて溢れてしまった。

 母は満留を引き寄せ、肩を抱くと、子供を
あやすように、ぽん、ぽん、と背を叩いた。

 「そんなに怖がらないで。たとえ、目に見
えなくなったって、お母さんはずっと満留の
傍にいるんだから。満留は独りじゃないの。
独りじゃないのよ。そのことをわかって」


――そんな言葉、信じられるわけないのに。


 どうしてか、母の穏やかな声を聞いていると、
そんな気がしてきてしまう。満留はスン、と、
思いきり洟を啜ると、ぐしゃぐしゃなままの
顔を上げた。

 ふふ、と母が笑う。

 父が死んでも。
 不治の病にかかっても。
 そして、命の期限が近づくいまも。
 どんな時も強く、やさしい母の笑顔がそこ
にある。