「タイムマシンで過去へ遡って自分の親を
殺したら、自分はこの世に生まれて来られへ
んからタイムトラベル自体が不可能っちゅう
説や。けどな、心配せんでもこの説はクィー
ンズランド大学の研究者が『何も起こらない』
と提示しとる。パラドックスはわかりやすく
言うと『矛盾』っちゅう意味なんやけどな、
それを引き起こす可能性のあるものの周辺を
再調整するイベントが必ず起こるらしいんや。
せやから、理論的には過去へ遡ることが出来
ても歴史を変えることは出来へん」

 「……なるほど。それなら時空旅行が出来
るようになっても、心配ないですね」

 本当は、なんだか良くわからなかったけれ
ど安心したように頷くと、なぜか妹崎がくつ
くつと笑い出す。何が可笑しいのだろう?と
思って顔を覗けば、悪戯っ子のような笑みの
ままで彼は言った。

 「なんやあんた。結構この研究に興味ある
んやないか。よかったら一度、俺の講義出て
みるか?きらっきら目ぇ輝かして話し聞いと
る学生に混じっても、誰も気付かへんで」

 揶揄うようにそんなことを言うので、満留
は妹崎の講義の様子を思い出す。大講義室の
八割を埋める生徒たちの真剣な眼差しと、廊
下にまで漏れ聞こえる妹崎の揚々とした声。
 話の内容は難しすぎてわからないけれど、
廊下から覗き見る度にあの空間にいる生徒た
ちが羨ましいと思っていた。二度と戻れない
学生時代を全力で生きる学生たちの背中は、
眩しいほどに輝いていて、自分は通り過ぎて
戻ることが出来ないから、余計に焦がれるの
かも知れない。妹崎の巧みな話術に、時折り
笑いが起こるのも楽しそうで、実際、満留は
密かに紛れてしまおうかと思ったこともあった。

 「確かに、私が生徒さんに混じって話を聞
いていても、この見て呉れだから誰も気付か
ないでしょうね。でも、講義が終わって振り
返った時に事務のおねーさんが座ってたら、
みんな面食らうと思います。『事務の桜井さ
んが先生の講義タダ聞きしてる~』って」

 その瞬間を想像して、満留は「あはは」と
声を上げて笑う。けれど、思いがけず部屋に
響いてしまった自分の声に気付くと、何かを
思い出したように笑みを引っ込めた。

 母が病で大変な時に、こんな風に笑うなん
て……ちょっと不謹慎だ。そう思って、無意
識のうちに俯いてしまった満留の耳に、妹崎
のやわらかな声が聴こえた。

 「ええやんか、笑えば」

 その声にはっとして顔を上げれば、丸メガ
ネの奥の瞳が弧を描いている。その眼差しが
存外にやさしくて……満留の心臓はとくりと
鳴ってしまった。