「あの、私、教務課の桜井です。こちらに
来たばかりで慣れないこともあると思います
が、遠慮なくお声を掛けてくださいね」

 段ボールを手に突っ立ったままの妹崎を見
上げると、満留はにこやかに笑った。一瞬、
妙な沈黙が流れたような気がしたが、すぐに
「へぇ」と聞こえてきて満留は小首を傾げた。

 「めっちゃ可愛いらしい事務員さんがおる
と思うとったけど、桜井さん言うんか。こち
らこそ、よろしゅう」

 いつもなら、「可愛らしい」などと言われ
ると、少し複雑な気分になってしまうのだけ
れど、妹崎にそう言われても不思議と気にな
らなかった。
 満留は「はい」と含恥むと、廊下の向こう
に目をやった。

 「じゃあ、備品管理室に用がありますので」

 ぺこりとまた頭を下げてくるりと踵を返す。

 「ほなまた」

 そう、声が聞こえた気がして振り返ったが、
妹崎はもうエレベーターを向いていたのだった。



 その日を境に、“遠慮なく声を掛けて”くれ
るようになった妹崎は、それでも、言葉を交
わす度に人間的な温かみを感じていた。廊下
で会えば二言三言交わし、用事を頼まれれば
彼の部屋まで足を運ぶこともある。

 それは、教員のサポートをする教務課スタ
ッフとして当たり前のことだと思うのだけれ
ど……。門脇の意味ありげな物言いが、満留
はいまも引っかかっていた。



 満留はクリアファイルを手に准教授室の前
に立つと、摺りガラスが嵌め込まれた白い
扉をノックした。


――コンコンコン。

 
 控えめな音がしたが、返事はない。
 また研究に没頭しているのだろうか?
 満留は小さく息を吸って、今度は少し強め
に扉をノックした。


――コンコンコン!


 するとまもなく、「ほい」と、いつもの返事
が聞こえてきた。その声に、「桜井です」と名
乗ると満留は彼の返事を待たずに扉を開けた。

 ドアノブを握ったまま部屋の入り口に立つと、
とっ散らかった部屋の奥にあるデスクから妹崎
が顔を覗かせる。

 「おう、来よったか」

 ちら、と満留の手にあるクリアファイルを見
ると、妹崎はにぃ、と目を細めた。その笑みは
まるで確信犯のようで、満留は口を尖らせる。

 「もう、いったい何度目だと思ってるんです
か。ちゃんと書いてくれないと、申請通りませ
んよ」

 ため息交じりにそう言うと、満留は山のよう
に床に積み上げられた分厚い本や書類をひょい
ひょいと避けながら奥へ進んだ。すっかり慣れ
たとは言え、泥棒が立ち去った後のように散ら
かっているこの部屋は、うっかりすると滑って
転んでしまう恐れがある。

 満留は大きな白いデスクにファイルを置くと、
中から用紙を取り出した。