夏の終わりと貴方に告げる、さよなら

 強く握り締めたバッグの取っ手は、汗で濡れてしまい、うまく掴むことが出来ない。

 この感情は恐怖か。それとも、他の何かなのか。

「良かった……。嶺奈、まだこの会社で働いてたんだな」

 そう言って、亮介は嶺奈の勤める会社を見上げる。

 その隙に逃げてしまおうと思ったのに、身体は金縛りにあったように一つも動かなかった。

「ストーカーみたいなことをして悪い。けど、こうでもしないと、嶺奈に会えないと思ったから」

「話すことなんて何も……」

「とりあえず、家行ってもいいか」

 本当は断りたかった。けど、出来なかった。今、断ったら、何をされるのか分からなかったから。

 彼からの連絡を絶つなら、会社も自宅も変えるべきだったのか。亮介について歩きながら逡巡する。

 けれど、亮介の為に、そこまでしなければいけないのは正直、癪に障る。

「鍵……」

 玄関先で立ち止まり、鍵をバッグの中から探す。そんな彼女の様子を見て、亮介はスーツのポケットからキーケースを取り出した。

「まだ、合鍵持ってるから」

 亮介が私の自宅の合鍵をまだ処分していないことに嫌悪し、背筋に寒いものを感じた。

 警鐘が脳内で鳴り響く。

 入ってはいけないと。

 お願い。入らないで──。

 そう言えたら、どれだけ良かっただろう。けれど、嶺奈は亮介に従うことしか出来なかった。