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 ―二千二十五年四月―

 昂幸は四月から小学生だ。
 正史は学費は全額支払うから、名門私立小学校の受験をして欲しいと美梨に伝えてきた。実家の両親は学費は払うから、桃華学園の小学部に入学することを美梨に勧めた。

 正史の気持ちと実家の両親の気持ちもくみとり、美梨は一応昂幸の気持ちも確かめたが、昂幸が選んだのは名門私立小学校の受験でも、桃華学園の小学部でもなく、保育園の友達が進学する居住区の公立の小学校だった。

 両親は『子供は何もわからないのだから、昂幸に選択させてはいけない。昂幸は優秀なのにその芽を親が摘むのか』と、美梨を叱咤したが、美梨は昂幸の素直な感情に従うことにした。

 ――入学式当日、桜並木の下を美梨は昂幸と二人で手を繋いで歩いた。あたたかい陽射しの中、正史から贈られた新品のランドセルを背負って嬉しそうに歩く昂幸の掌を美梨は優しく握りしめた。

 昂幸は標準よりも身長も高く体格はいい。クリクリとした大きな瞳は、修にとてもよく似ていた。

「えっと、クラス分け、クラス分け……」

 美梨は掲示板に貼られたクラス分けの名簿を見る。

「昂幸、一組だよ。一年一組」

「一組? お母ちゃん、保育園のお友達いる?」

「うん、いるいる。光《ひかる》くんと、良平《りょうへい》くんが一緒だよ」

「やったあー! よかった。先生は男?女?」

「担任の先生は男の先生だよ」

「男の先生かあ。俺は女の先生がよかったなあ」

「は? どうして女の先生がいいの?」

「だってね、女の先生なら優しいし、いい匂いがするもん」

「いい匂い? ぷっ……」

 美梨を見上げてニヤけた昂幸の無邪気な笑顔に、美梨は思わず吹き出す。

 (ほんと誰に似たんだか。正史が聞いたら仰天するよ。私の教育が悪いと叱られるかな。)

「先生、怖いかな?」

「一年生の担任だから、先生はきっと優しいよ」

 美梨は昂幸と手を繋いで、一年の教室に向かった。教室に入ると、もう殆どの子供が椅子に座っていた。

「光〜! 良平〜!」

「タカ〜!」

 昂幸は飛び跳ねんばかりに、二人の元へ走って行く。

 保護者は教室の後ろに並んだ。殆どの保護者は夫婦で出席していた。光と良平の両親と笑顔で会釈した美梨だっだ、昂幸が寂しい思いをしていないかと、ふと心配になった。

「おはようございます。みんな自分の名前が貼ってある席に座って下さい。わからない子は先生に聞いて下さいね」

 担任はまだ若い教師で、優しく挨拶をしたあと生徒達に入学式の説明をした。そして後列に並んでいた保護者にも挨拶をした。

「保護者の方は体育館への移動をお願いします。入学式の後で保護者会を開きますので、またこの教室に集まって下さい」

 父母達はゾロゾロと教室を出ていく。
 美梨は昂幸に視線を向けた。昂幸はきょろきょろと誰かを捜しているようだった。

「じゃあみんなは廊下に並んで下さい。今から入学式だからね。お父さんやお母さんに、一番カッコイイ姿を見せような」

「「は〜い」」

 後方で元気のいい生徒達の声が響いた。
 他の保護者と共に体育館に入ると、体育館の入口に正史が立っていた。

「正史さん、どうして……」

「美梨、久しぶりだね。元気だったか?」

「はい。正史さん、お仕事は?」

「今日は昂幸の入学式だからね。昂幸から電話をもらったから休暇を取ったんだ。どうしても一緒にお祝いがしたくて駆け付けたんだよ。あとで一緒に食事をしないか?」

「昂幸が正史さんに電話を? 知らなかったわ……。あの子がそんなことを。だから落ち着きがなかったのね。来て下さりありがとうございます。きっと昂幸も喜びます」

 二人は並んで椅子に座った。
 まるで時が戻ったみたいに。

 他の保護者からすれば、二人も夫婦に見えるかもしれない。もう夫婦ではないが、実子ではないとわかっている昂幸に父親として接してくれる正史には、感謝しかなかった。