―五月―

 メイサ妃は妊娠十ヶ月に入り、臨月を迎えた。王宮には産科の医師も看護師もお付きのメイドもいて、臨月のメイサ妃は何もすることがなくソファーに座り音楽を聴いたり、本を読んだり、退屈な日々を過ごす。

 唯一、メイサ妃の公務といえば、他国の王族や大統領などの来賓を王宮でおもてなしする際に、トム王太子殿下のお妃としてお迎えすることだけだったが、それも今年の三月以降は大事をとって外交もしていないため、王宮に飼われている籠の鳥と一緒だった。

 自由も娯楽も何もない。本を開いていても、ふと頭に浮かぶのは最後に逢ったレイモンドの顔だけ。

 (レイモンド……。あの時、私が妊娠していなければあなたは私を浚って逃げてくれただろうか。)

 (トム王太子殿下や両親や護衛を振り切り、私を自由にしてくれただろうか。)

 そんなことをレイモンドがするはずはない。レイモンドは自国や隣国の国王陛下を敵に回すことなどできないからだ。

 (それでも私は今でも……。
 レイモンドのことが好きだよ。)

 トム王太子殿下の外国訪問の公務もあり、メイサ妃は本日陣痛促進剤を用いて王宮で出産をすることになっていた。

 国王陛下の公務を軽減するため、トム王太子殿下は精力的に公務に励み、諸外国での外交を深めていた。

 本来ならばメイサ妃も同行すべき外交だが、ご成婚前から懐妊してしまったメイサ妃は外交に同行することは許されなかった。

 メイサ妃の大役は、お世継ぎを無事に出産すること。この国は長子が王位継承権を持つため産まれてくる子は王子でも王女でも構わない。

 この広い王宮で、メイサ妃が自由に行動できるのはトム王太子殿下と過ごすこの別宅だけ。出産後は乳母と教育係が子供を育てることが王家の習わしとなっている。

 子供を出産すればメイサ妃も公務に復帰はできるが、一人でいる方が気楽だった。

 トム王太子殿下はメイサ妃を寵愛してくれたが、メイサ妃はそれすら物足りなさを感じていたからだ。

 (子供が産まれたら、私の気持ちにも変化が起きるかもしれない。この子はトム王太子殿下と私の強い絆になってくれるはずだから。)

 (ねぇ……レイモンド……。
 あなたは今幸せですか? マリリンと結婚したのかな?)

「メイサ妃殿下、分娩室の準備が整いました。トム王太子殿下もそちらでお待ちです。さあ参りましょう。初産ですから多少時間はかかりますがメイサ妃殿下のような元気なお子様がお生まれになります。私におつかまりください」

「ローザ、ありがとう」

 何度も疎ましく思っていたローザだったが、妊娠して初めてローザの厳しさは優しさからくるものだったとわかった。

 でも内心、メイサ妃は出産の不安よりも、万が一お腹の子がトム王太子殿下の子供でなかったらと思うと、その不安の方が大きかった。