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 橋の欄干に手を置いて、俺は立ち止まった。ここまでは、美雨は確かに俺のそばにいたんだ。ハーフパンツのポケットからスマホを取り出して画面を確認するけれど、美雨からの着信はない。デンワも、メッセージも。
 どこにいっちまったんだ、あいつ。
「拓南」
 一緒に美雨を探しに引き返した誠が、俺を呼ぶ。
「木暮さんに、もういっぺん、デンワしてみる?」
 俺はかぶりを振った。
「デンワもラインもしたけど返信がないってことは、気づいてないんだろ。ていうか、これじゃ気づけないか」
 人のざわめきと花火の音がにぎやかで。──ああ、それと、気づいているけど、わざと返事をしない、ってパターンが、あるっちゃある。
「どうする? 二手に分かれて探そうか?」
 誠の言葉に、俺は橋から河原を見下ろした。すらっと並ぶオレンジ色の夜店の灯り、ひしめいている人、人、人。あの中のどこかに美雨はいるんだろうけど。──そう考えたら、思いがけず、胸のどこかがぎゅっと締めつけられた。
 美雨は、いつの間に、いなくなってしまったんだろう。俺のそばから離れて。小さなガキの頃から、横にいないときは、ふり向きさえすれば、俺を追ってくる美雨が見えたのに。手を伸ばしてやればつかまってきて、美雨もほっとした顔をするけれど、俺も何だか安心した。学年が上がるにつれて、美雨といるとくだらなくからかわれることも増えたけれど、気にしなかった。美雨と俺は昔からずっとこうなんだよ、って。
 でも、こうなんだ──って、どういうことだったんだろう。
 胸に何かがつかえているようだ。その何かを吐き出すように、俺は、二手に分かれて美雨を探そうかという誠の問いかけに答えていた。
「──いいよ。あいつももう子どもじゃないんだから。連絡がないってことは、ふつーにいつも花火を見る公園に向かってるんだろ。そこで待ってれば、そのうちに来るさ」
「けど、女の子ひとりじゃ、最近ヘンな事件も多いし、絡まれたりとか……」
 心配そうに言う誠を、俺は笑った。
「ねえよ、そんなマンガみたいな展開」
「わかんねえよ? でさ、ホントにマンガみたいに、好きな人に助けられたりして、さ」
 自分も笑ってそう言って、だけど、誠はすぐに笑顔を消した。
 ひとつ向こうの橋を使って、仕掛け花火のナイアガラが始まっていた。川面に落ちる銀色の滝。その後ろから、スターマインが盛大に打ち上がる。その花火の音に紛れるように、誠が言った。
「……木暮さんの好きな人ってさ、ホントに拓南じゃないの?」
「違うよ」
 スターマインを見上げて、俺はきっぱりと否定する。
 変な言い方だけど、自信がある。美雨は俺をそんなふうには見ていない。俺が美雨のことをそんなふうに見ていなかったように。
 誠がふいと花火に背を向けて欄干にもたれた。気がついて、俺もそうした。
「おまえは?」
 並んで欄干にもたれた誠が、俺を見ないで聞く。
「前にもいっぺん聞いたけどさ。拓南は、木暮さんのこと、どう思っている?」
 連続して打ち上がる花火の炸裂音を背中にビリビリ受けながら、俺は答えをためらった。答えそれ自体のせいじゃなく、俺が俺の気持ちを見失っていた。
「……きょうだい、だと思ってた」
「思ってた、か」
 言葉の最後だけを、誠は繰り返した。
 夏休み前、同じことを誠に聞かれたとき、俺は同じコトバを現在形で答えていた。──きょうだいだと、思ってる。
 きょうだい。それが美雨と自分の関係を表すのにいちばん近い言葉だと思っていた。血はつながってないけれど親戚で、家族ぐるみのつきあいで、子どもの頃からしょっちゅう一緒に遊んでいて。
 ホントはきょうだいも少し違う感じがしていた。けれど、他にひと言で俺たちを表すうまい言葉は浮かばなかったんだ。
「俺、女って、よくわかんないんだ」
 言い訳じゃなく、俺は説明しようとした。誠は美雨にマジなんだから、ハンパはしたくない。
「だけど、美雨のことなら、わかった」
 何を考えているか、とか、どうすれば笑うか、とか。血はつながっていなくても、気持ちのどこかがつながっている気がした。
 でも、いつか美雨も変わるんだろうと、俺はなんとなく思っていた。美雨は変わって、そのへんの『よくわからない』女の子になり、俺と美雨をつないでいる何かは切れるんだろう、と。
 美雨が誰かを──男を好きになったときに。
 自分がなぜそんなふうに考えたのかはわからない。ただなんとなく、そんな予感みたいなのがしていたんだ。そうして、誠の気持ちを聞いたとき、だったら誠みたいないいやつを好きになってくれればいいな──と思った。本当にそう思った。ふたりが両想いになったら、俺はふたりがずっとうまくいくように応援するんだ。だけど。 
「好きな人がいる、って美雨が言ったとき、俺、びっくりしたんだ」
 美雨が、俺の知らないうちに、俺の知らない男を好きになっていたことに、俺はすごく驚いてしまった。
「考えてみれば、全然びっくりすることじゃないんだけど。あいつのキモチはあいつだけのもので、そんなこと当たり前で、あいつのもので俺のものなんて何もなくて、あいつは……」
 木暮美雨、というひとりの異性で。
 うまく言えなくなって、俺は口をつぐんだ。
 仕掛けの最後の花火が鳴り止んで、辺りには拍手と満足そうな吐息がさざ波みたいに広がっている。
「ちかすぎたんじゃね? おまえと木暮さん」
 ぽつり、と誠が言った。視線を上げて、俺を見た。
「いっぺん離れてみたら、キモチ、はっきりするかもよ?」
「……そしたら、もうおまえにアシストできなくなるかもしんねーよ?」
 冗談ぽく言ってから、俺は唇をかんだ。自分がこんな気持ちになるなんて、考えてもいなかった。美雨に、好きな人がいる、と言われるまで。──気づいときには自分のそばからいなくなっていた美雨は、俺にとって何だったんだろう。
 誠はさらっと笑ってみせた。
「しゃーねえよ。そのときは、そのときで」
「──ごめん」
「いいって。でも、木暮さんのこと、諦めたってことじゃねえよ?」
「うん」
「けど、木暮さんに他に好きな男がいるんじゃあ、俺たちがここでこんなことしゃべってたって、あんまり意味ないよなあ」
「そりゃあそうだ」
 俺たちは、笑った。
 初めての気持ちだったが、片思いとかトライアングルとか、湿ったものはなかった。
 だって、悩んだって、自分の気持ちは変わらない。たとえば──たぶん傍からは俺のサッカー歴は順風に見えるだろうけど、俺の中では悔しい思いも苦しい思いもたくさんあった。でも、サッカーはずっと好きだ。きっとそんなふうに、美雨に対する気持ちも変わらない。
 美雨が、俺じゃなくて、他の男を見ていても。 

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