観覧車の中は、非日常だった夜の遊園地とは切り離されたような空間だった。

 
 それでもまだ気まずさは消えなくて。


 私は下を向いて黙ったままだった。


 でも、その沈黙を翔くんが破った。


「…あのさ、ここにくるみを連れてきた理由、本当はなんとなくなんかじゃないんだ」


 えっ…?


 私は少し驚いて、下を向いていた顔を上げた。


「くるみに、伝えたいことがあって。…家じゃたぶん聞いてくれない気がしたから」


 確かに、家だと私は逃げてしまうかも。


 ここだったら逃げられない。


 翔くんに真剣に向き合うしかないんだ。


 …伝えたいことってなんだろう。


「…なに?」


 聞くのはとても怖かった。


 でも、今ここで聞かなければ後悔すると思った。


「実はさ、俺たち昔1回会ってるんだ」


 えっ、会ってる…?


「いつ…どこで?」


 私に思い当たる節はなかった。


「幼稚園ぐらいの頃に、ショッピングモールで」


「ショッピングモールって…湊くんと行った?」


 私がそう聞くと、翔くんは少しムスッとしながらうなずいた。


 ショッピングモール…幼稚園…。


 私は記憶の中を探る。


「覚えてないのか?…"泣かないで。僕が必ず、君を笑顔にするから"」


 翔くんのその言葉を聞いて、私の記憶が今と結びついた。


 幼稚園の頃、私はお母さんと一緒にショッピングモールにお買い物に行った。


 その時、私は初めてショッピングモールに行ったから、好奇心からか走り回ってたんだよね。


 そしたらいつの間にかお母さんとはぐれちゃって。


 半泣き状態でお母さん、お母さんって言って歩き続けてたんだ。


 で、なんか歩くのも疲れちゃって。


 そのまま床に座り込んだんだ。


 そしてお母さんに会えない寂しさで、周りの目も気にせずに泣いてしまった。


 すると1人の子ども…私と同じくらいの男の子が、私に声をかけてくれたんだ。


『泣かないで。僕が必ず、君を笑顔にするから』


 さっきの翔くんが言ったのは、あの時の男の子が昔の私に行った言葉。


「翔くんが…あの時、迷子の私に声をかけてくれた男の子…!?」


 あの時男の子が私に声をかけてくれたから、一緒にいてくれたから。


 私は泣かないでいられたし、お母さんにも笑顔で会えたんだ。


 私の言葉に、翔くんがうなずく。


 …まさかあの男の子が、翔くんだなんて。


 そして、今こうして一緒に暮らしてるなんて。


 本当に世界は狭い。


「…それで、お前あの時言った言葉、覚えてるか?」


 言った言葉?


 私あの時何か言ったっけ。


 もう何年も昔のことだから、細かいことまで覚えてない。


 私が首を横に振ると、


「覚えてないのかよ。…お前、あの時人気だった男のアイドルのポスター見て、笑顔になったんだよ」


 アイドル…もしかして、私が一時期好きだったあのアイドルのかな?


「そしてお前言ったんだ。"すごい…!カッコいい!"ってな。それも満面の笑みで」


 そうなんだ。


 それが私があのアイドルを好きになった理由だったんだ。


「だから、俺。あの時決めたんだ。この子を笑顔にできるアイドルになろうって」


 …え?


「お前を、笑顔にするために」


 私の、ために…!?


 呆気に取られて、翔くんから目が離せない。


 観覧車から見える、たくさんの星やイルミネーションも、今は私の目にはひとつも映らない。


「そしたらお前、俺がアイドルだって知って距離取るし。話さなくなるし。…もう本当どういうことだよ」


 そう言って、下を向く翔くん。


「だ、だってアイドルだったら私とも話さない方がいいかなって思って…」


 私がそう言うと、翔くんはゆっくりと顔を上げ、私の目を真っ直ぐに見つめた。


「…お前が嫌なら、アイドルもやめる。テレビにも出ない」


 その視線から真剣さが伝わってきて、さらに翔くんから目が離せなくなる。


「俺はお前が好きだ」


 翔くんが、私を…好き?


「あの時のお前の笑顔がずっと忘れられなくて。また会えるかもわかんない相手が好きだなんて、らしくないとも思ってて。…でも、また会えた」


 翔くんの真っ直ぐな言葉が、私の心に突き刺さる。


「…初めて一緒に買い物に行った帰りに見たお前の笑顔が、昔のお前の笑顔と重なったんだ」


 翔くんが私から視線を外さずに、私の両手を自分のそれで包み込む。


「絶対にお前を笑顔にする。…俺と、付き合ってください」


 私は息を呑んだ。


 こんなに直球で言ってくれるなんて。


 そして、私のこの想いも、無くさなくていいなんて。


 恥ずかしさで顔を逸らしてしまいたかったけど。


 私は視線を外さずに、


「…私も、翔くんのことが好きです。よろしくお願いします」


 と言った。


 私のその言葉を聞くと、翔くんは安心したのか、ホッと息をついた。


「え、どうしたの?」


「いや…だってお前、俺のこと嫌いなんだと思ってたから」


「は、話さなかったのは翔くんがアイドルだからで…。翔くんのこと好きだったんだけど、忘れなきゃって思ってて…」


 翔くんがアイドルだってことを知って、私は全てが終わったような気がした。


 もうあんな風には喋れない、笑い合えないんだと。


 でも、そんなことはなかった。


「あ、もしかして、ここに誘ってくれたのって…」


「うん、お前に告白するためだよ。…もし断られたらキッパリ諦めるつもりだった」


 私も、このお出かけが終わったら、翔くんのことをキッパリ諦めるつもりだった。


 翔くんも、私も同じだったんだ。


 そのことに気がついて、私は思わずクスッと笑ってしまった。


「おい、なんで笑ってるんだよ」


「いや、私たち似てるなーって思って」


「なんだそれ」


 こんな風に、いつも通り話せるのがとても嬉しい。


 心からそう思った。