波乱が訪れたのはラルフとマリナラが湖から戻ってすぐのことであった。

「ラルフ団長っ!!おられますかー!!」

レジランカ騎士団の団服を着た若者は離宮にたどり着くなり必死になってラルフへ呼びかけた。

「どうした!!何があった!!」

その尋常ではない呼び声を聞いたラルフは慌てて野外に飛び出した。

「北方騎士団より緊急の救援要請です!!キール副団長は騎兵と共に既にレジランカを発ちました!!ラルフ団長も急ぎ合流を!!」

予期せぬ知らせにラルフは舌を鳴らした。国境線を先に超えたマガンダ兵がリンデルワーグの国民に何をするか想像するだけで腑が煮え繰り返る。

「わかった。そなたはここでしばし休んでから戻れ」

レジランカから離宮までの道のりを最速で駆け抜けた団員は見るからに疲弊していた。

騒ぎを聞きつけた女性陣が心配そうな面持ちで離宮から出てくるとラルフは素早く指示を出した。

「エミリア!!すぐにロンデを厩舎から連れてきてくれ!!」

「はい!!」

「母上、この者をしばし離宮で休ませてやってくれ」

「ええ、わかったわ。さあ、こちらへ」

エミリアが厩舎に走り、アリスが団員を連れて離宮の中に入ると、ラルフとマリナラは二人きりになる。

「名残惜しいが、マリナラ殿。ここでしばしお別れのようだ」

「ご武運を」

「なあに、私には契約書の悪魔とやらがついている」

ラルフはマリナラ顎を持ち上げると電光石火のごとく唇を奪った。

初めこそ驚いていたマリナラだったが、すぐに目を瞑りなすがまま素直に応じた。

厩舎からロンデを連れてきたエミリアは鮮烈な口づけを目撃者となり、ロンデの手綱をうっかり離しそうになった。

別れを惜しむ恋人同士のキスはむせかえるほど甘く、目を覆いたくなるほど熱烈だった。

「契約印代わりにもらっていく」

硬直するエミリアから手綱を奪いとったラルフはロンデに跨ると颯爽とガーラ山を駆け抜けていった。

羞恥と羨望のあまりエミリアはラルフが去ってもしばらく動くことが出来ずにいた。

しかし、口づけされた本人は余韻に浸っている暇などなかった。

「まったく……この非常時にどさくさに紛れてキスをするなんて……。早速、借用書を作らなければなりませんね」

エミリアにはなぜ口づけの後に借用書が必要なのかさっぱりわからなかった。