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「よかった。泣かなかったんだな」
翌朝、「おはよう」も言わずに、來が口にした最初の言葉だった。
柔らかい声色と、滅多に見せない穏やかな笑顔――
生徒に接するような優しさが、なぜか今朝のわたしにだけ向けられていた。
「もう望のことは吹っ切れてるって言ったでしょ?それに、わたし、そんなに弱くないから」
口ではそう言いながら、胸の奥にまだ残っているざらつきは否定できなかった。
もしかして、來はわたしが夜ひとりで泣いていたと思ってるのかもしれない。
もし「わたしが傷ついているのは、あなたとの関係なんだよ」と言ったら、來はどうするんだろう。
もし「本当の夫婦になって」と告げたら、來はどんな顔をするだろう。
「奈那子、朝ごはん作ったけど、食べる?」
……今、なんて言った?
「いいの?」
「うん。今日だけ特別」
掟を、破った。
わたしたちが決めた、契約結婚の五箇条のうちの一つ。“寝食は別”という約束。
それを、自ら壊してきた。
「ありがとう……」
內心、戸惑いながらも、うれしかった。
何でもない朝の食卓が、やけに眩しく見えた。



