夫の一番にはなれない



***

「よかった。泣かなかったんだな」


翌朝、「おはよう」も言わずに、來が口にした最初の言葉だった。

柔らかい声色と、滅多に見せない穏やかな笑顔――

生徒に接するような優しさが、なぜか今朝のわたしにだけ向けられていた。


「もう望のことは吹っ切れてるって言ったでしょ?それに、わたし、そんなに弱くないから」


口ではそう言いながら、胸の奥にまだ残っているざらつきは否定できなかった。

もしかして、來はわたしが夜ひとりで泣いていたと思ってるのかもしれない。


もし「わたしが傷ついているのは、あなたとの関係なんだよ」と言ったら、來はどうするんだろう。

もし「本当の夫婦になって」と告げたら、來はどんな顔をするだろう。




「奈那子、朝ごはん作ったけど、食べる?」


……今、なんて言った?


「いいの?」

「うん。今日だけ特別」


掟を、破った。

わたしたちが決めた、契約結婚の五箇条のうちの一つ。“寝食は別”という約束。

それを、自ら壊してきた。


「ありがとう……」


內心、戸惑いながらも、うれしかった。

何でもない朝の食卓が、やけに眩しく見えた。