「みんなと一緒に卒業したかったな」


ぽつりと、風に乗って消えそうなほどの声でつぶやかれたその言葉に、奈那子は手を止めて耳を澄ます。


「……ごめん、変なこと言った」


そう言って俯いた酒井さんの横顔は、以前のように閉ざされてはいなかった。

すぐに顔を上げると、まっすぐ前を向いていた。


「でも、あたし、がんばるから。ちゃんと前、見てるよ」


静かに、だけど確かに発せられたその言葉は、保健室の空気を少しあたためた。

早苗が「そっか」と優しく頷き、長野と常盤が「来年、すげー見送りしてやるよ」「お祝いめっちゃ盛大にやんなきゃな」と冗談めかして笑った。


その会話に、酒井さんもつられるように口元をほころばせた。

奈那子は、心の中でそっとその場面を刻む。


――この子は、もう大丈夫。


過去にとらわれず、未来を選ぼうとしている。


ほんの少し前まで、誰にも言葉をかけられなかった彼女が、今こうして、友達と笑い合っている。

奈那子は、日誌の空白ページに手を置きながら、そっとつぶやいた。


「わたしも、ちゃんと見届けなきゃ」


教師として。

そして、人として。


目の前で変わっていく“生徒たちの今日”を、しっかりと受け止めていこう。

春の光は、もうすぐそこまで来ていた。