帰り道、傘を持たずに出てきたことを少し後悔しながら、奈那子は小走りで自宅へ向かっていた。
雨のにおいが、地面から立ちのぼる。
なんだか、あの子の気持ちもこんな風に、湿ってしまっていなければいいけれど。
そんなことを考えていたら、玄関を開けた先に、エプロン姿の來がいた。
「おかえり。今日は雨、急に降ったな」
「うん、びしょびしょ」
「着替えてこいよ。温かい紅茶入れる」
その声に、心の中で少しだけほぐれたものがあった。
保健室では何も言えなかったけれど、ここで少しだけ、力を抜ける。
シャワーを浴びて戻ると、來が紅茶をカップに注いでくれていた。
「酒井さん、何かあった?」
「……ちょっとね」
そう言って、今日の出来事を來に話す。
彼は何も言わず、ただ聞いてくれた。
そして、カップを合わせるように静かに言った。
「居場所ってさ、どんな場所でも誰かの言葉ひとつで変わる。でも、それを作り直すのもまた、誰かの言葉だろ?」
奈那子は、頷くことしかできなかった。
“わたしに、できるだろうか”
その問いは、心の奥にそっとしまったまま。
紅茶の湯気が、静かに2人の距離を包んでいた。



