ページをめくる手が、止まる。
視線が、ほんのわずかに落ちる。
けれど、彼女は何も言わなかった。
何も返さなかった。
いつものように、ただ静かに座っていた。
奈那子は生徒に「氷で冷やしてね」と声をかけ、見送ったあと、ふと酒井さんの方を振り返る。
「……酒井さん、大丈夫?」
声をかけようとしたけれど、気づけばそれは心の中の言葉で終わっていた。
彼女の表情に、言葉を挟む隙間が見えなかったのだ。
何も変わらないようでいて、確実に――彼女の中に何かが揺らいだのが、分かった。
昼休みが終わり、生徒の姿が消えた保健室は再び静けさを取り戻す。
だけど、そこにいた酒井さんは、さっきとは違う。
同じ本を開いているけれど、目は文字の上を流れているだけ。
奈那子はデスクに座り、日誌に何かを書こうとして手を止めた。
“彼女の居場所が、揺らいでいる”
そんな気がして、言葉が続かなかった。



