朝から穏やかだった保健室に、ちいさな波紋が広がったのは、昼休みのことだった。

酒井さんは、いつものように窓際の席で静かに本を読んでいた。


その姿はもうすっかり“この場所にいる”ことに馴染んでいて、違和感なんてひとかけらもない。

けれど、ふと保健室のドアが開いたとき、その空気はふっと揺らいだ。


「すみませーん、指突き指したみたいで……」


駆け込んできたのは、バスケ部の男子生徒だった。


「大丈夫?どっちの指?ちょっと見せてくれる?」


奈那子が立ち上がり、優しく問いかけながら保冷剤を用意する。

生徒は頷きながら指を見せ、奈那子が処置をしている間――彼はちらりと酒井さんの方を見た。


「……あれ?またいるんだ」


その一言に、空気がピリついた。


「保健室、居心地いいもんな。ずっとここいられるとか、楽でいいよね」


笑っているような口調だったけれど、その言葉は確かに棘を含んでいた。

その瞬間、酒井さんの手がわずかに動いたのを奈那子は見逃さなかった。