校内放送が鳴り、始業のチャイムが鳴る。

それでも來は、いつも通り保健室に寄ることなく、自分の教室へと向かった。


いつもと変わらない。

その背中が廊下の先に見えたとき、ふと胸があたたかくなった。


「そうだよね、わたしたち……ちゃんと“先生”なんだ」


來がわたしの夫であることは、もちろん嬉しい。

でも、学校の中での私たちは、ただの“先生”でいなければいけない。

それは、わたしたちが誰よりも理解しているルールだった。


だから、すれ違う彼に声をかけることも、手を振ることもない。

ただ、静かに見送るだけ。


そして、その時だった。


「……おはようございます」


入口のドアのところから、細く小さな声が聞こえた。

顔を向けると、そこにいたのは、制服姿の酒井さんだった。


彼女の両肩はほんの少しだけ震えていて、目線は床の一点をじっと見つめていた。

でも、その口から確かに言葉がこぼれたのだ。


「おはようございます」


わたしはすぐに立ち上がり、静かに微笑んだ。