「そっか、じゃあ犬派なんだ。どんな犬が好き?」

「柴犬……」

「わ、かわいい。あのくるっとした尻尾とか、歩き方がたまらないよね」


そう言うと、酒井さんはふっと小さく笑った。

たったそれだけの会話。


でも、奈那子にとっては、それがどれほど嬉しいものだったか。


「最近読んでる漫画とかある?」

「……『ブルーロック』」

「えっ、意外!スポーツ系読むんだ」

「うん……でも、主人公が“エゴイスト”って言ってるの、ちょっとわかる気がする」


そこで酒井さんの目が、ほんの少しだけこちらを見た。


「うまくいかないことがあっても、自分を信じるのって……難しいよね」


その言葉に、奈那子は返す言葉をすぐに見つけられなかった。

その沈黙が、ただの空白じゃなくて、互いの呼吸が重なるような静けさになっていく。


「また来てもいい?」と奈那子が尋ねると、

酒井さんは視線をそらしながらも、ほんのわずかに頷いた。


それが、どれほどの意味を持つか。

言葉よりも確かな、変化の証だった。