夫の一番にはなれない



「過去の傷を癒すのは簡単じゃない。でも、お前が行ってくれてよかったよ」


來が、少しだけ照れくさそうに言う。

奈那子は、それにどう返せばいいか分からず、ただ小さく笑ってごまかした。


でも、胸の奥で、もう一つの“声”がざわついた。

——自分はどうだろう。


酒井さんのように、誰かに自分の想いを打ち明けて、否定されたらどうしようと恐れてはいないだろうか。

たとえば、來に。


「わたしね、來のこと……」と言えなかったあの夜。

「ありがとう」と伝えることすら、まだちゃんと言えていない。


それがいけないことだとは分かっていても、言葉にするには少しだけ、勇気が足りない。

教師として、生徒に「話してごらん」と言える立場なのに、自分は話せていない。


その矛盾に、奈那子は小さく目を伏せた。



——まず、自分が変わらなきゃいけないのかもしれない。

そんな思いが、胸の奥に静かに灯った。


「……また行こうと思ってるの、酒井さんのところ」


ふとつぶやくと、來がほんの少しだけ笑った。


「だと思った」

「なんで?」

「顔に書いてある。ほっとけない、って」

「それ……顔に出てるの?」

「うん。まる見え」


それを聞いた奈那子は、やっぱりごまかすように笑って、視線をそらした。

でも、その表情はほんの少しだけ、あたたかかった。