「……はい」
インターホン越しに聞こえた女性の声は、酒井さんのお母さんだった。
「星坂高校の養護教諭の滝川と申します。あの……酒井さんに、お会いできませんか?」
名乗り終えた後の沈黙が、酷く長く感じられた。
返事がないまま、ブザーは切れた。
そのまま断られるのかもしれないと思い始めた頃、玄関のドアが静かに開いた。
「……先生、どうぞ」
出てきたのは、やはりお母さんだった。
少し戸惑いを浮かべながらも、傘をたたむわたしに玄関の中を示してくれた。
「娘は、まだ誰とも話したがらないんです」
「構いません。ほんの少し、お顔が見られるだけで」
靴を脱ぎ、差し出されたスリッパに足を入れると、家の中の空気がわたしを包んだ。
雨のにおいがするコートを脱ぎながら、お母さんに案内されてリビングの手前で立ち止まる。
「……ちょっと待っててくださいね。話だけはしてみます」
そう言って、お母さんは階段を上っていった。
リビングには小さな花瓶と、読みかけの雑誌が置かれていた。
どこか静かで温かみのある空間だったけれど、その奥にいる酒井さんの気持ちには、まだ踏み込めない気がした。



