あの田淵くんが起こした家出騒動からそう時間が経たないうちに、今度は彼が自ら保健室にやってくるという、ちょっとした“事件”が起こった。

今まで彼が保健室に足を運んだことなんて一度もなかったから、最初はてっきりケガでもしたのか、あるいは体調不良かと思って、慌てて席を立ってしまったほどだった。


「どうしたの? 田淵くん、ケガした? それとも具合が悪い?」


いつになく真剣な表情を浮かべた彼を前に、わたしの中で不安がじわじわと広がっていった。


「いや……あのさ、先生」


彼の低く落ち着いた声に、わたしは思わず生唾を飲み込み、続きを待った。


そっと顔を上げた田淵くんの目には、迷いと決意が入り混じったような強さが宿っていて、その視線に思わず背筋を正した。


「俺、やっぱり美容師になりたいんだけど」

「田淵くん……そう、決めたんだね」

「……なんだけど」

「お母さんがまだ反対してるの?」

「うん……」