院長の決断に反対する人は、誰もいない。
苦しみをこらえた、悲鳴に似たレクの鳴き声を聞くたびに、このままずっと終わりのない苦痛がつづくのなら、もう楽になったほうがレクは幸せなんじゃないのかと思った。
心の準備はできていたつもり。
でも、いざとなると初めてのことだから、これから目の前で起こる事実を、冷静に見届けられるのか自信がない。
オーナーに電話をかけた院長の説明通り、夕方、オーナーは来院した。
問診はないわけで、オーナーは直接、院長の待つ診察室に入った。
私はオーナーが最終決断を下す姿を、院長とオーナーからは死角になる、スタッフステーションの窓越しに見守り、耳を傾ける。
背中に温かな人の気配がして、少し首を傾けたら見覚えのある白衣が視界に入ってきた。
アイコンタクトを取って微笑む、黒ぶちめがねの奥の瞳は優しさがうかがえて、私に安心感を与えてくれる。
「大丈夫?」
「大丈夫です」
坂さんに気丈に振る舞い、また前を向き、そのまま二人で診察室を見守る。
「院長は理論的な思考で、わかりやすく相手になにかを伝えることができる、重要なスキルを身につけてるわ」
私の耳もとでは坂さんが声を押し殺して囁いたあとに、院長の会話術をよく聞いていてねと言うよう、窓越しに耳をすませる。
「ふだん診察で話すときと違って、今の院長は淡々と話してませんか?」
「その対応は教育を受けた結果よ」
オーナーに対しての、心のケアまで勉強するのか。
「どんな状況下でも、冷静で客観的であろうとするの。そのためにオーナーから、ある程度距離を置いて接することが必要だと考えてるのよ」
重い決断を下さなければならないオーナーと、受け止める院長。
診察室の光景は息が詰まりそう。院長は平常心でふだん通り。
それが当たり前なんだけれど、オーナーにとっては安心する対応だと思う。
「お二方のあいだには心の距離もだし、診察台くらいの物理的な距離も必要なのかも」
「重苦しい雰囲気ですね、重圧が胸に迫ります」
両手を胸に置いて、大きく息を吸い込み心臓をなだめた。
「大丈夫?」
微笑む坂さんに「大丈夫です」と告げ、肩の力を抜いた。
体が強張るくらい緊張していたんだ。
話が進むにつれ、ワクチンを接種していたら、こういう結果にはならなかったって、オーナーが自分を責めて、レクに申し訳ないと泣き始めた。
乱れるオーナーの前でも、平常心でいられる院長の様子はわかった。
「本当に院長って、オーナーといっしょに泣くことも慌てることもないですよね」
「それだって、教育を受けた結果だけど、獣医がそれだとまずいでしょ」
困った顔で微笑む坂さんが、言葉をつづける。
「院長は、オーナーの前で情緒的になることも感情を出すこともしない」
「院長、凄いですよね。見た目は感情がない人みたいに淡々としてる」
「難しいテクニックを使っているわ。でも冷たさは感じない」
「オーナーにも、しっかりと寄り添ってますもんね」
「もしかしたら、あと数十分ほどでレクを苦痛から解放させるかもしれないでしょ。だから院長は現実を考えてるのよ」
「絶妙な、さじ加減ですね」
坂さんの言動に、院長の言動やオーナーとのやり取りを穴が開くほど見入る。
苦しみをこらえた、悲鳴に似たレクの鳴き声を聞くたびに、このままずっと終わりのない苦痛がつづくのなら、もう楽になったほうがレクは幸せなんじゃないのかと思った。
心の準備はできていたつもり。
でも、いざとなると初めてのことだから、これから目の前で起こる事実を、冷静に見届けられるのか自信がない。
オーナーに電話をかけた院長の説明通り、夕方、オーナーは来院した。
問診はないわけで、オーナーは直接、院長の待つ診察室に入った。
私はオーナーが最終決断を下す姿を、院長とオーナーからは死角になる、スタッフステーションの窓越しに見守り、耳を傾ける。
背中に温かな人の気配がして、少し首を傾けたら見覚えのある白衣が視界に入ってきた。
アイコンタクトを取って微笑む、黒ぶちめがねの奥の瞳は優しさがうかがえて、私に安心感を与えてくれる。
「大丈夫?」
「大丈夫です」
坂さんに気丈に振る舞い、また前を向き、そのまま二人で診察室を見守る。
「院長は理論的な思考で、わかりやすく相手になにかを伝えることができる、重要なスキルを身につけてるわ」
私の耳もとでは坂さんが声を押し殺して囁いたあとに、院長の会話術をよく聞いていてねと言うよう、窓越しに耳をすませる。
「ふだん診察で話すときと違って、今の院長は淡々と話してませんか?」
「その対応は教育を受けた結果よ」
オーナーに対しての、心のケアまで勉強するのか。
「どんな状況下でも、冷静で客観的であろうとするの。そのためにオーナーから、ある程度距離を置いて接することが必要だと考えてるのよ」
重い決断を下さなければならないオーナーと、受け止める院長。
診察室の光景は息が詰まりそう。院長は平常心でふだん通り。
それが当たり前なんだけれど、オーナーにとっては安心する対応だと思う。
「お二方のあいだには心の距離もだし、診察台くらいの物理的な距離も必要なのかも」
「重苦しい雰囲気ですね、重圧が胸に迫ります」
両手を胸に置いて、大きく息を吸い込み心臓をなだめた。
「大丈夫?」
微笑む坂さんに「大丈夫です」と告げ、肩の力を抜いた。
体が強張るくらい緊張していたんだ。
話が進むにつれ、ワクチンを接種していたら、こういう結果にはならなかったって、オーナーが自分を責めて、レクに申し訳ないと泣き始めた。
乱れるオーナーの前でも、平常心でいられる院長の様子はわかった。
「本当に院長って、オーナーといっしょに泣くことも慌てることもないですよね」
「それだって、教育を受けた結果だけど、獣医がそれだとまずいでしょ」
困った顔で微笑む坂さんが、言葉をつづける。
「院長は、オーナーの前で情緒的になることも感情を出すこともしない」
「院長、凄いですよね。見た目は感情がない人みたいに淡々としてる」
「難しいテクニックを使っているわ。でも冷たさは感じない」
「オーナーにも、しっかりと寄り添ってますもんね」
「もしかしたら、あと数十分ほどでレクを苦痛から解放させるかもしれないでしょ。だから院長は現実を考えてるのよ」
「絶妙な、さじ加減ですね」
坂さんの言動に、院長の言動やオーナーとのやり取りを穴が開くほど見入る。


