策略家がメロメロ甘々にしたのは強引クールなイケメン獣医師

 ちょっと、ちょっと、オーナーが凄い勢いで院長の胸や肩を叩いた。
 わあ、入院室まで泣き叫ぶ絶叫が聞こえてくる。
 驚きで少しだけ足もとがぐらつく。

 人が叩くのなんか見る機会、めったにないでしょ。

 一瞬くらい、どきっと驚かせてよ。あとは動物看護師として、動揺しないで冷静にいるから。

 それぞれのケージを見て回ったら、みんな落ち着いていて、お腹がいっぱいでおねむな患畜もちらほら。
 よかった、大丈夫だね。

 特に猫は、自宅じゃないってだけでストレスな子もいるから、なるべく刺激になることは避けたい。

 ケージから、また隔離室に視線を戻すと再生した映像を観ているみたい。
 まだやっているから嫌だな、顔が歪んじゃう。

 オーナーに対して、院長は自分の感情を押し殺して決して表に出さない。さすが獣医師の鑑。
 オーナーの心が不安定なんだね。

 たまにいるんだよね、こういう人。院長に理不尽なことを言ったり怒りをぶつけてきたりするオーナー。

 レクのオーナー、今日は一段と凄い荒れ方。

 下げている食器を持ちながら、慌てて処置中の卯波先生を見ると、じっと私の様子をうかがっていたみたい。
 ばっちり目と目が合った。

 放っておいて大丈夫なの? オーナーも院長も両方のことが心配。

 卯波先生に向かって口をぱくぱく、眉間にしわを寄せて、隔離室のほうに首を何度も横に振った。
 行って、行って、止めてって。

 卯波先生からは、凄く冷静な飄々(ひょうひょう)とした顔で、顎で合図された。
 いつものあれだ、“こっちに来い”と。

「止めなくて大丈夫なんですか? 卯波先生が、どこ吹く風の涼しい顔ですから心配ないんでしょうけど」

「その通り、心配はいらない」
 今、今すぐ止めないと凄くオーナー乱れているよ?

「納得がいかないか?」
 気もそぞろで隔離室をメインに、卯波先生のことは、ついでに視線を泳がせる。

「落ち着け、俺を見ろ」
 そうは言っても危なくて、隔離室から目が離せない。

「俺を見ろ」
 頬を片手で包まれたと思ったら、卯波先生の目と目が合った。

「まったく、こうでもしないと見ないのか」

 なに、どうしちゃったの? また体が震えている。
 卯波先生は、すぐに手を離したのに、なんなの、この震えは。

「レクのオーナーは、精神的にも肉体的にも追い詰められていく、経済的にもだ」

 真剣なまなざしに、私の目は吸い込まれそう。

「その中で、冷静な役割を求められる。ある意味、オーナーは獣医師よりも大変かもしれない」
 そっと視線を外す卯波先生の目は、つらそう。

「治療でもオペでも検査でも、どんなことも最終的に決断をするのはオーナーだ」

 院長でも卯波先生でもない。こんな重い重責を背負うのは、オーナーなんだ。

「だから、自覚があるなしに関わらず、オーナーはストレスを溜めていく。今回の例は特に」

 それと、今の院長が叩かれているのは別じゃないの?