策略家がメロメロ甘々にしたのは強引クールなイケメン獣医師

「ただし、ケロッとしているのは脳の錯覚だ」
 脳の錯覚だって。院長と違うことを言ったから、よく話を聞こう。

「人間の心や体は繊細だ、そんな簡単に切り替えることはできない」

 人間って、というか私って、そんなに複雑かな、もっと単純な気がする。

「緒花くんの苦しさやつらさは、俺が未然に防ぐ、少しでも楽になるように」
 どうして、いつも優しくしてくれるんだろう。

 自然と心の中に入ってくる、低く芯のある声が日射しみたいで暖かい。

 子猫たちの安楽死のときも。

 言葉だけじゃなく、行動で示してくれた。

 さっきから、頻繁にスクリーンに視線を馳せていた卯波先生が目を細める。

「血検結果が出た、やっぱりテンパーだ。根本的な治療法はなし、有効な治療薬もなし」

 なしなし尽くしの中から、救える可能性を探し出して、やれることをできる限り、懸命に尽くすことだけを考えている卯波先生。

 なしなし尽くしなんて、どこ吹く風みたい。

「宝城の補助をしてあげてくれ、手が足りないだろうから」
 
 卯波先生をじいっと見つめていたら、急に振り返るから、いたたまれなくなって白衣を払ってみたり、痒くもない頬を擦ってみた。

「頬が、うっすらと赤い」
「寒いからです」
 ここのどこが寒いんだって言いたげに、ぐるりと隔離室を見渡している。

 自分でも、なに言っているのって馬鹿みたいで呆れちゃう。

「寒いのは熱のせいだろう。熱に浮かされているんじゃないのか、他を忘れて夢中になる」
 い、いいえ。ち、違いますったら。

「痒いから」
「頬がか?」
 卯波先生が見渡しながら、冗談交じりに詰めよってくるから困る。

「つらい、苦しい以外の本音も言わない気か?」

 自分のこめかみにあてた人差し指を、そっと下ろすと、私の左胸の方向に指をさしてくる。

 賢い人同士にしかわからない暗号なの?
 院長となら、わかり合えるジェスチャーなんじゃないの。

 ごめんなさい、私にはわからない。

「入念に消毒してから行けよ」

 あれれれ、何事もなかったよう。暗号みたいの意味を教えてくれないの?
 今のは、いいやって諦めた?

 今は気になる、でもそのうち忘れる、あまりの忙しさに放りこまれるから。

「慌てなくていい。ゆっくり落ち着いて行け、もう段ボールにつまずいて転ぶな」
 
  いつぞやの話よ。思い出したら体が熱くなっちゃうから、今は思い出さないの。
 
 誰かに、背中や足首を押されているみたいに、体が前へ前へと()き立てられて、駆けずり回りっぱなし。

 何秒で生存率が何パーセントまで下がるって、秒との勝負のレクみたいな子が来院すると、体力も神経もすり減る。
 ついでに靴底も。

 生きるためにレクはがんばって、生かすために私たちはがんばる。