その日の夕方、来院したオーナーから坂さんが、受付で小さな箱を受け取り、オーナーは事務的なやり取りをして、支払いを済ませて帰って行った。

 箱を持って、なにしに来たのかな。あの箱はなんだろう?

 坂さんが箱を持って、入院室に行こうとするから、声をかけようとした。

「今はやめておけ、見ないほうがいい」
 院長が慌てて制止して、沈んだ表情で黙って去って行く姿が寂しそう。

 いつもと様子が違う、二人とも変だよ。

「卯波先生」

 立ちすくむ私が振り返ると、椅子の背もたれに寄りかかり、ゆったりと座っている卯波先生と目と目が合った。

「あの箱は?」
 単純に好奇心で気になって、深く考えないで聞いたら、なかなか返事が返ってこない。

 卯波先生が高く筋の通った鼻に触れて、長いあいだ黙ったまま。

 私の声、小さかったかな、聞こえなかったのかな。
 さっきより少しだけ声を上げて、もう一度。
「あの箱は?」

「飼い猫が子猫を産んだが、飼えないから子猫を安楽死させるために持ち込んだ。これは稀なことではない」

 卯波先生が重い口を開いた、意を決したみたいに。口調は噛んで含めるように優しい。

 ただ私には、唐突すぎて事情が飲み込めない。

 あの軽そうな箱は、そんなに重いものなの?
 おかしいよ、安楽死の使い方が間違っているよ。

 これ以上、治療をしても治る見込みがなくて、患畜をただ苦しめるだけだから、苦痛から解放させてあげるために施す処置でしょ。

 この世に生を受けた、健康で元気な子のために施す処置じゃないよ。

「そんなのおかしい、嘘だよ」
 胸を締めつけるイメージを、激しく頭を振って打ち消す。

「これが現実だ、目をそらすな、ついて来い」

 動物病院で、そんなことがあるのか現実味がないまま、淡々としている卯波先生のうしろについて入院室に入る。

 院長の手により、たった数分で処置は完了した。よく長く感じたって聞くけれど、まったく。

 嘘みたいでしょ? あっけなかった。