「いずれ親父さんの跡を継ぐから、小動物臨床も経験を積みたいんだってさ」
 へえ、オーストラリアでのトップを捨てて継ぐんだ。

「海外のほうが働きやすくて収入もいいけどな。獣医師の地位や認識具合もドクター並みに高い」
 
 日本の獣医師も、国家資格を取得してドクターくらいの知識も経験もあるのに、待遇が雲泥の差。
 
 年収に見合ってない働き方も、いっしょに改善されたらと願うばかり。

 というか。
「そもそも、日本でも獣医になれるんですか?」
 また、セミナーの資料作成に意識を集中し始めている院長に声をかける。

「国家試験を受けられる制度ができてる。それに、書類を提出すれば審査をされて獣医になれる」

 ただ、その書類の量が尋常じゃないほど膨大だから、時間がかかっていたらしい。

「深刻な人手不足の畜産業界にとって、産業動物獣医師トップの彼は、まさしく救世主だろう」

 それはそれは。
 大自然の中で黙々と仕事をするような、寡黙な人なんだろうな。

「hi! 今日からお世話になりめす、戸和優人(ゆうじん)です」
 いきなり背後からの、陽気な声と大きな体と、“なりめす”の英語チックな発音に驚いた。

「あれ? 明後日からじゃないのか」
 院長は平然として、別に驚く様子もないんだね。

「今日、到着しました。みなさん、一ヶ月間よろしくお願いします」
 モサッとふわふわ柔らかそうな茶色い髪をなびかせるようにして、頭を下げた。

 私の中の寡黙な戸和先生は一瞬で消えていった。

 各自それぞれ自己紹介を済ませると、戸和先生が当然のようにハグをしてきた。

「hi、桃ね、よろしく」

 よろしくって、院長と坂さんとは握手をした大きな手は、次に私をハグしたまま握手をされた。

「どうしてラゴムにいらしたんですか?」
 非常口の誘導灯に頭がつきそうな、大きな戸和先生の瞳を覗き込む。

「緒花、失礼な聞き方するなよ」

「戸和先生のほうが失礼です、いきなり抱きついたんですよ?」
 わなわなわなわな、怒りが込み上げてくる。

 卯波先生以外に抱きつかれたことなんてない!!!

「ごめんなさい、もうしないよ」
 私に、今まで百年くらい悪いことでもしてきたみたいな、すごく哀しい顔で謝るから、逆に罪悪感。

「文化だ、文化の違いを受け入れろ。親愛のしるしだ」
 院長に言われなくたって、それくらいわかっていますよ。
 急な出来事で、体が早々反応できるわけないでしょ!

「広くて豊かなオーストラリアの自然が肌に合います。あとは、そう! オーストラリアにしかない独特の生態系にも興味ある」

 なのに日本に来たんだ。ところで、質問の答えは、どこにいったの?