策略家がメロメロ甘々にしたのは強引クールなイケメン獣医師

 泣き止むまで笑わせてくれた、院長の優しさに癒されて、少しだけ心が軽くなったみたい。

 公園を出て、散歩がしたいって私のリクエストに快く応えてくれた院長と、街中をあれこれ話しながら歩いていた。

 今までテンポよく話していた院長の言葉がワンテンポ遅れて、上の空になったのが、なんかおかしい。

「あっち行くか」
 唐突に向きを変えようとした不自然な院長の動きが気になり、仰ぎ見た。
 やっぱり、なんか変。

「行くぞ」
 一瞬の院長の視線を見逃さず、視線の先に目を向けた。
「卯波先生」

 なにか大きな力にでも引っ張られるように、私の足は一直線に卯波先生のもとへ引き寄せられそうになった。

「待て、今は行くな!」
 引き止める院長を払いのけようとしても、強い力には敵わない。

 卯波先生の隣を寄り添うように歩く女性。あの人は。

 あまりの衝撃に驚くことさえ忘れ、血が一気に上って、谷底へ落ちていくような感覚を覚えた。

 嘘よ、そんなあるわけないじゃない。
 私は悪い冗談を見ているだけ、ないない、あり得ない。

「急にどうしたんだよ」
 引き止める力が突然、軽くなったから驚いたみたい。

 もう、あんなの見せられて力が抜けちゃったよ。
 一度は現実から背けた目の焦点を、また二人に合わせた。

「あの人、美砂妃(みさき)さんですよね」
「なんで知ってるんだ。会ったことあるのか?」

「ほくろ」
「ほくろがなんだよ、訳わからない」
 なにがって、上唇の左側にあるほくろが特徴的なの。

 私の心が引力に従うように、卯波先生に近づきたがる。

「待てったら、俺が声をかけるから、緒花は俺について来い」

 院長のうしろを歩き出すと、人の頭と頭のあいだからひときわ高く見える、卯波先生の背中を追いかける。

 久しぶりの卯波先生の姿に、早くはやくとせっつくように、私の脳は足に走れと促す。

「待て、信号が赤だ」

 指先に、今までに感じたことがないような風を感じた瞬間、冷静な声で院長が私の腕をぐいっと掴み、自分の胸に引き寄せた。

「危ないじゃないか。緒花の目の前を自動車が通りすぎて、あと少しで事故につながってた」

 それを説明されたところで、聞いたあとから恐怖感を抱くことなんかなかった。

「緒花のことが心配なんだよ。第一、事故は相手に迷惑をかける。それに、周りで事故を目撃した通行人が受けてしまうショックのことも考えろ」

 迷惑をかけた事実も、迷惑をかけたであろう想像も頭の中には浮かばない。

 それよりも、卯波先生の姿を見失いたくない。

 信号が青に変わるまでのあいだ、小柄な私は周りの人並みに埋もれてしまう。

 必死に背伸びをして、ちぎれそうなほど首を伸ばして、卯波先生の姿を目で追う。

 信号が赤のたびに卯波先生を見失わないかと、心臓の奥のほうが、きゅっと痛くなる。

 卯波先生に早く、一刻も早く再会したい。

 ただその気持ちだけが、私を突き動かす原動力。