卯波先生の決意が、ここまで固いだなんて。
 心は頑として揺れないの?

「俺からは離れていかないって言ったのに。桃が、これから経験する幸せな初めては、すべて俺とだって言ったのに」

「それは過去の話だ、別れるんだ」
 一拍、二拍の間もない。私にとっては、過去なんかじゃないよ。

 卯波先生には別れることに迷いなんか、まったくないんだ。

 (とど)めを刺されるって、こういうことなのかな。

「私が生まれて初めて別れる相手が、卯波先生だなんて言われてない」

「俺のことは忘れろ」
 なにを言っているの、意味がわからない。

「納得できるわけないじゃないですか?」

「世の中を知れ。おとなは理不尽なこととも、折り合いをつけて生きていくんだ」

「それなら、おとなになんか、なりたくない!」

 寂しく微笑む卯波先生の笑顔が、私たちの最後なんて嫌だ。

「私への想いは、そんなに軽く簡単な想いだったんですか?」

「傷は浅いうちがいい」
 無愛想というか、言葉が足りないよ。

「浅くても傷は傷です。それよりも答えて、私の質問に答えてください」

「初めての恋愛だから、俺に執着しているだけだ。時が経てば俺を忘れて、新たな恋をする」

 これ以上冷ややかには言えないと思える声の響きで、私の心を凍らせる。

 卯波先生にとって私との恋愛は、別れてもすぐに忘れて、また新しい恋をするくらい簡単な恋愛だったの?

 卯波先生がそうだとしても、私は違う。
 
「執着じゃない。それに、そんな簡単に忘れられる恋なんかしてない。ずっとずっと好き、ずっと卯波先生が大好き」

 そうよ、自分を信じてあげないでどうするの。

 瞬く間に、卯波先生の顔から血の気が引いていく。

「能力をオフにしてください。私は泣きたいくらいに、つらいんです。私は泣くことさえも許されないんですか?」

 唇を噛み締めて、卯波先生を凝視する。

「能力をコントロールしてください。泣いたら卯波先生を傷つけるから泣けない。卯波先生を傷つけたくない」

 私の言葉は聞こえていないの?

 血も騒がないような冷静な顔で、黙々とカルテに目を落としている。

「来月、ラゴムを辞める」

 青みを帯びるほど顔色が悪い、卯波先生の横顔を見つめていたら、素っ気ないほど冷ややかな口調で、きっぱりと告げられた。

「嘘よ、どうして、そんなひどいことを」

 絶望で固く氷のように冷たくなった全身からは、力が抜けて床の中へ吸い込まれていってしまいそう。

「私のことを好きでしたか? 愛してましたか?」

 見向きもしないで、いつもと変わらない冷静沈着な卯波先生のまま、入院室から出て行ってしまった。

「待って! 答えてったら」
 力が抜けてしまって、最後は言葉にならない声を発することしかできなかった。

 なにが起こったのか、現実が受け止められなくて、涙さえ出てこない。夢みたい。

 うん、泣けないじゃなくて泣かないんだ。

 思考回路が停止どころか、心が壊れないように自己防衛本能で、感情まで止めてしまった。