その年の夏は、傷付いた俺をさらに苦しめるような猛暑だった。夕方、外回りから戻って給湯室に入ると、中で篠田麻美が洗い物をしていた。
 「お疲れ様です。佐山さん、麦茶飲みますか?」俺を見て、麻美が声をかけた。
 「うん。ありがとう。」と答えると、麻美は冷えた麦茶を注いでくれた。
 「うまい。」俺は一気に飲み干して笑顔になる。
 「この近くに美味しい焼肉屋さんがあるんです。佐山さん、お肉好きですか?」空のコップを受取りながら、麻美は笑顔で言う。
 「それ、俺にご馳走してってこと?」俺が苦笑すると、
 「いえ、割り勘で大丈夫です。」と麻美はハキハキと答える。俺は声を上げて笑っていた。
 「たまには栄養補給するか。」と言うと
 「はい。私、もう上がりなので。隣のスタバで待っていますね。」と言って麻美は給湯室を出て行った。『せっかちだなあ。』と思っても嫌な気がしないのは、麻美の性格に裏表がないからだろう。そんなことを考えながら、俺の心は少し弾んでいた。
 俺よりも4才年下の麻美は、いつも明るくハキハキと話す。誰に対しても笑顔で仕事の手際も良い。俺が仕事を頼んだ時も、嫌な顔をせず気持ち良く対応してくれた。
 可愛い顔立ちで、いつも笑顔の麻美は男性行員に人気があった。それなのに何故、俺を食事に誘ったのだろう。『俺なら安全だと思われたかな。』俺は苦笑しながら、帰る準備を急いだ。
 
 食事の間中、麻美は他愛ない話しを面白おかしくずっと話している。麻美の話しにケラケラ笑いながら
 「ねえ、篠田さんって、いつもそんなにしゃべっているの?」と麻美に聞く。
 「佐山さん、元気ないから。励まそうと思っているんです。」と麻美は頬を膨らませて言った。俺は笑いながら慰められていることに気付く。
 「俺、そんなに元気ない?」と聞くと、
 「この暑さで元気な人、いないですよ。」と真面目な顔で麻美は言った。
 「篠田さん、元気じゃない。」俺が言うと
 「私のは、空元気です。」と答える麻美。
 俺はずっと笑っていることに気付いていた。麻美は個人的なことは何も聞かない。ただ楽しませ、寛がせてくれた。
 「今日は楽しかった。また一緒に食事してくれる?」会計を済ませて俺が言うと
 「もちろんです。でも次は私も払います。」と答えて、麻美はまた俺を笑わせた。
 それから時々、一緒に食事をするようになったけれど。麻美は俺を困らせるような話題は一切しない。ただ楽しく寛がせてくれる。俺が何も言わないのに不満も言わずに、何度も食事に付き合ってくれた。
 麻美と食事をして3日もすると、俺は麻美と話したくなっていた。麻美と過ごす時間に救われていることに気付く。いつの間にか街路樹が、色を変える季節になっていた。