一人リビングに残って私は、今更孝明を失う怖さに震えた。孝明と付き合いながら私は何度も茂樹に抱かれた。孝明を愛していたのに。茂樹の誘いを断らなかった。7年前の愚かな自分を呪った。
 孝明にどれほど支えられていたか。孝明との生活がどんなに幸せだったか。今になって気付いても遅い。私はすべてを失う恐怖にただ震えていた。
 これから私はどうなるのだろう。孝明は明日、実家に送ると言った。実家の両親にもすべてを話さなければならない。そのまま子供達と実家で暮らすのだろうか。突然帰ってきた私達を両親はどう思うだろう。
 私は自分の事しか考えられなかった。孝明が受けた深い傷や、孝明の生活を変えてしまう責任。そして二人の子供達のことも。ただ、これから自分はどうなるのか。その不安ばかりが頭の中で堂々巡りしていた。
 何も考えられないまま、時間だけが過ぎていく。窓の外が白み始めた頃、私はぼんやりと立ち上がり、実家へ帰る荷造りを始めた。
 
 子供達が目を醒ます前に、孝明は戻って来た。玄関で迎える私に、憔悴した顔の孝明は
 「やっぱり、このままの生活は続けられない。お父さん達と一緒に、離婚に向けて話し合おう。」と静かに言った。私は孝明の顔を見れずに小さく頷く。孝明はどれほど苦しんで、その結論を出したのだろう。私が自分の心配をしている間に。今になって私は、孝明の愛の深さに気付く。俯いた私の足元に涙が落ちる。
 「ごめんなさい。」私が小さく言うと、孝明は私の頭に手を乗せた。思いがけないぬくもりに、私は号泣してしまう。廊下に立ったまま、掌で顔を覆って。
 
 「大翔、悠翔。大事なお話しをするから、よく聞いて。パパ、急な仕事で遠くに行くことになったんだ。これから埼玉のお祖父ちゃんの家に送るから。大翔と悠翔とママは3人で、お祖父ちゃんの家で暮らすんだよ。」起きてきた子供達と、いつものように朝食を食べながら孝明は話す。
 「えー。僕の学校はどうするの?」黙って聞いていた大翔が言う。
 「お祖父ちゃんちの近くの小学校に行くようになるよ。」大翔は小学校入学をとても楽しみにしていたから。
 「いやだよ。カズ君と一緒の学校がいい。」拗ねた顔で孝明に言う大翔。孝明はどんな思いで大翔に答えているのだろう。
 「ごめんな、大翔。パパ、すごく遠くに行くから、もうここには住めないんだ。」
 「遠くってどこ?外国?」大翔の質問に孝明は頷き、
 「そう。外国。だから大翔達を連れて行けないんだよ。これからは大翔が、パパの代わりにママと悠翔を守るんだ。できるか?」孝明は大翔を見つめて、ゆっくり話す。
 「パパはいつ帰ってくるの?土曜日?」大翔も悠翔もパパが大好きだった。いつも週末にパパと遊ぶことを楽しみにしていた。
 「すごく遠いから、そんなにすぐには帰れないよ。それに、とても難しい仕事だから、いつ終わるかわからないんだよ。だから、大翔も悠翔も、これからはママの言うことをきいて、なんでも一人でしないと駄目だよ。」明るく言う孝明に、大翔は渋々頷く。悠翔もよくわからないまま、大翔を真似て頷いた。
 私は涙を堪えきれずに、そっと席を立った。キッチンを向いて水道を流し、嗚咽を消して泣いた。
 「二人とも、ごちそう様をしたらお祖父ちゃんちに行く用意して。」孝明は最後までパパでいてくれる。私は大翔と悠翔から、大好きなパパを取り上げてしまった。孝明の声を聞きながらやっと私は実感していた。