青時雨


 遠くに、私を呼ぶ声が聞こえた。

 優しく私を、包んでくれた声。
 甘く私を、(とろ)かしてくれた声。
 狂しく私を、愛してくれた声──。

「悠介、さん……」

 薄く目を開くと、目の前に悠介さんの、浅黒い精悍な顔があった。

「純さん、気付かれましたか?」

 悠介さんは優しく囁きながら、私の髪を指で梳いてくれた。

「ここは……?」

「病院です。僕がお連れしました」

 視線を巡らすと、そこはどこかの病院の個室病床のようだった。白い壁と白いカーテンに包まれて、私はベッドに寝かされていた。
 左腕の先で、点滴瓶がぽとりぽとり、青葉が露を垂らすように薬液を落としていた。

「雨の中、あなたを探していました」

 悠介さんが言った。

「オフィスの窓から一瞬あなたが見えて、あなたの姿を探して、雨の中を走り続けていました」

「──ご迷惑を、おかけしました」

 生気のない言葉で、私は応えた。

「でも、できれば探さずにいて、欲しかったです」

「……」

「あなたに助けられて、私はまたあなたに惹かれてしまう。私は苦しみながら、あなたを想い続けなければならない」

 言葉が揺れて、嗚咽が込み上げる。
 涙が溢れて、視界が滲む。

「編集部に、私と悠介さんの関係が知れ渡ってしまいました」

 絶句する悠介さんに、私は言った。

「上司に、そのまま付き合い続けて、編集部と悠介さんの橋渡しをしろ、と。──奥様を苦しめた、報いですね」

「純さん、僕は──」

「何で私を探したんですか、悠介さん」

 泣きながら、私は言った。

「もう、耐えられないんです。誰かを苦しめることも、自分が苦しむことも」

「……」

「私、あのまま雨に打たれて、死んでしまいたかった──!」

 手を伸ばす悠介さんを拒絶するように私は寝返りをうって、彼に背を向けて泣き続けた。