朝日が、東の地平線を赤く焦がしながら昇り始めていた。
 このマリーナからでは、相模湾を隔てた房総半島が黒く横たわって、太陽は海ではなくて陸から上がっていく。

 汐風に髪をなびかせながら、朝日に(きら)めく伊東の海を眺めるうち、もっと近くで見てみたいという気になった。

 潮騒とウミネコの鳴き声。
 朝の光に包まれて、自分を無にしたかった。
 誘われるように柵で囲ったゲートを抜けて、細い桟橋を歩いた。

 コンクリートの堤防に囲まれたマリーナには、桟橋に繋がれたヨットやクルーザーのマストが波に揺られて、林の木々のように揺れていた。

 桟橋を進むと、そこにはマリーナでしか聴けない音が満ちていた。

 きいきいと、船具とロープが擦れる音。
 ぱたぱたと、波が船底や船腹を叩く音。
 帆を(たた)んだヨットのセイルロープが風を受けて、マストをきんきん叩く音もする。

 目を閉じて、朝の桟橋の重奏曲(アンサンブル)に耳を遊ばせていると、急に声をかけられた。

「おはようございます」

 声の主は、斜め前に繋留された大きなヨットから、半身を乗り出してこちらを見ていた。
 浅黒く焼けた肌と白い歯。真っ白なTシャツからは逞しい肩と腕が伸びている。がっちりとした上半身とは裏腹に、優しそうな目が私を見ていた。

 恐る恐るおじぎをすると、その男性は、

「良ければ、コーヒーでも飲んで行きませんか?」

 と誘ってきた。

 少し躊躇(ためら)う気持ちもあったけど、桟橋で見てきた多くのヨットより、ひと回りは大きなヨットの中はどうなっているんだろうと、好奇心めいた気持ちも湧いてきていた。

「よろしいんですか?」

「大歓迎ですよ」

 私がデッキへのタラップに足を掛けると、男性は逞しい腕を伸ばして、私の手を掴んだ。

 大きくて分厚いけど、暖かい手のひらだった。