窓の外は雨だった。

 東京に戻ってから、ずっとはっきりしない天気が続いている。キーボードの上を走らせていた手を休めて、ガラス窓に雨の滴が幾筋も線を引いていく様子を、ぼんやりと眺めた。

「戸田君」

 急にデスクに呼び止められた。

「済まない。予定したライターが事故で間に合いそうになくて、こちらの取材、代わりに君が行ってくれないか」

 そして私の返事も聞かずに、バインダーに綴じたファイルを手渡された。

 アポ付き取材のピンチヒッターなんて乱暴な話だけど、私たちくらいの出版社ではよくある話だ。 
 でもアポイントメントの時間を聞いて、血の気が引いた。後1時間しかない。

 先方が指定した南青山のオフィスまでの移動時間を逆算して、私は直ぐに雨の街に出た。同行するカメラマンとは現場で落ち合うことにした。

 大通りでタクシーを拾い、行き先を告げると、バッグを開いてファイルに目を通し始めた。
 雨の道は少し混んでいた。

 取材の相手は、片桐という名の、気鋭の青年実業家だった。
 20代でアパレルブランドを立ち上げ、自身は経営者としてデザイナーたちを支えながら、投資家としても非凡なセンスを示して、この御時世に事業を急拡大させているという。

 渡されたファイルに目を通しながら、インタビューの流れを頭の中でシミュレートしていく。
 だが、ある一点に目が止まった。 

『趣味はセーリング。週末や休日はお気に入りのヨットで、一日を過ごすことも多い』
 
 慌てて、ファイルを追っていた目を戻して、取材対象の名前を確認した。

『片桐悠介 38歳』

──悠介。

 最初に目にしたときには、偶然の一致と思って、気に留めずにいたけれど。

 震える手でタブレットをタップして、検索ワードに『片桐悠介』と打ち込んだ。

 表示された画像を見て、時間が止まった。

 伊東のマリーナで愛し合った、あの猛々しくて優しい瞳が、液晶画面から私に微笑みかけていた──。