「……よく、知ってるのね。そんなに(くわ)しく。私の騎士で、花の名を知る人なんて、今までいなかったわ。いつも私が教えてあげて……」
 震えた指を誤魔化(ごまか)すように口にした言葉。だがそれは、かつての記憶を呼び()まし、余計(よけい)にシャーリィを動揺させた。

 アーベントはうつむくシャーリィの頭をじっと見つめ、申し(わけ)なさそうに口を開いた。
「何か、嫌なことを思い出させてしまったようですね。すみません」
「いいえ。あなたは何も悪くないわ」

「実は、王宮に上がる前、一緒(いっしょ)の家に暮らしていた従妹(いとこ)が、花に(くわ)しくて、私もいつの間にか覚えてしまっていたのですよ」
 笑って言うアーベントに、シャーリィはほんの少し平静を取り戻す。

従妹(いとこ)と一緒に暮らしていたの?あなた」
「ええ。少し前までは、母の実家に世話になっておりました」
(母方の……従妹……?)
 シャーリィは何か記憶に引っかかるものを覚えたが、すぐには思い出せず、そのまま(だま)って話の続きを聞く。

「当初は家族皆で、父の任地である、リヒトシュライフェとエンヨウの国境沿()いの街へついて行ったのですが、七歳の時に母を亡くし、幼かった私だけ、母の実家に(あず)けられることになったのです。父方の祖父母はその時、(すで)に亡くしておりましたし……あの街は、幼い子どもが、親の監視も無く一人でうろうろしているには、危険な場所ですので」

 エンヨウは、リヒトシュライフェと国境を接する『炎の宝玉』の守護国。優秀な鍛冶師(かじし)と戦士を数多く抱え、軍事国家として知られている。
 表向きはリヒトシュライフェとも国交を結び、交易なども(さか)んに行われているが、裏では他国の領土に野心有りとの(うわさ)で、エンヨウとの国境を守る国境警備には常に緊張感がつきまとっている。
 特に国境沿いの街では、嘘か真か、エンヨウ君主直属の隠密(おんみつ)兵が暗躍(あんやく)し、王都から派遣されて来た要人の暗殺や誘拐を目論(もくろ)んでいるという。

「……そう。大変だったのね。ごめんなさい、そんなことを話させてしまって」
 幼い子どもが母親を亡くし、親戚とは言え、他の家に預けられて暮らす――それなりの苦労があったであろうことは、シャーリィにも容易(たやす)く想像できた。

 ますます落ち込むシャーリィの横で、アーベントはふっと笑い声にも似た吐息を()らした。何かを思い出すような遠い目で、それでも声音だけは優しく、アーベントは(ささや)く。
「もう過去のことですよ。ですから、俺のためにそんな哀しそうなお顔をなさらないで下さい、シャルリーネ姫」
 
 ――だから、泣くな、シャーリィ。世界で一番可愛い、俺の……
 
 その一瞬、シャーリィの中で、記憶の中の少年の声とアーベントの声が重なった。シャーリィははっと顔を上げる。
「……『俺』?」

「ああ、失礼(いた)しました。王女殿下の御前だというのに」
「あなた、普段は自分のことを『俺』と言っているの?」
「私くらいの年頃の男なら、皆そうではないのですか?まあ、王族の皆様方の前でそんな言葉(づか)いをする者は、いないでしょうが」

 普段とは違う言葉遣いをするアーベントに、普段とは違う感覚を覚え、シャーリィの胸がどきん、と鳴る。