(ほお)に涙が伝ったままだということに気がつき、シャーリィは(あわ)ててそれを(ぬぐ)う。
 急いで取り(つくろ)おうとして……だが思い直し、泣き笑いの顔で告げる。
「そう。とてもとても悲しいことがあったの。ずっと大切に想ってきたものを、()くしてしまったみたい……」
 アーベントは無言でシャーリィに歩み寄り、そのままその身を抱きしめた。
「私がいます、姫」
 温かな腕に包まれて、シャーリィは何も言えず、ただ涙を流した。
 
 思えばウィレスは、シャーリィの方からいくら抱きついても、決してその(うで)を背に回してはくれなかった。
 あくまでも兄としての態度を(つらぬ)こうとするウィレスは、極力シャーリィに触れないようにしていたから。
 
 だから、彼が抱きしめてくれたのはただ一度だけ。正体を隠して近づいてきたあの仮面舞踏会の夜だけだった。
 
 ウィレスからは決して与えてもらえないぬくもりに包まれて、それでもシャーリィの胸を占めるのは、ただ一人の面影(おもかげ)だけ。
 
(お兄様のことを好きになったりしなければ、あのままアーベントに対する好意を、恋だと思っていられたのに……。アーベントのことを好きになれていたら、きっと幸せになれたのに。……ねぇ、竜神様。どうして私達人間は、恋に()ちる相手を自分で選ぶことができないの?)
 
 この時、物思いの(ふち)に沈むシャーリィは、まるで気づいていなかった。
 その頭上でアーベントが、どんな表情を浮かべていたのかを……。