溜め息をつかずにいられない。最初から自分には無理だと思っていたが、ここまでコテンパにやられるとは思っていなかった。いくら何でも成果ゼロとは。
 もう一度溜め息をつこうとしたところで、スマホの着信音が鳴った。のろのろと電話に出る。
「あ、あゆみちゃん?蜂谷婦人どうだった?」
 あゆみの前任者井上だった。あゆみは、東条デパートの外商部に最近、異動したばかりだ。デパートの外商部は、お得意様の御宅に赴き、お客様の好みにあうような商品を紹介し、購入してもらうのが仕事だ。
 これまでは同じ外商部の先輩のアシスタントとして同行していたが、今日から独り立ちすることになっていた。蜂谷婦人は、レストランチェーンの社長婦人で、五年ほど前から東条デパートを愛用するようになった。その頃から担当していたのが、電話の相手、井上だ。
「だめでした…完敗です。全く歯が立ちませんでした…」
 あゆみは正直に言った。
「そっかー。まあ、蜂谷婦人も、最初が肝心と思ってるのかもよ?私も最初の頃はきつく言われたしねえ」
「井上先輩は、初めての時、何か買ってもらえました?」
「そうねえ。靴だけは何足か。奇跡的に私の好きなブランドと婦人の好みが一致したのよ。それでちょっとご機嫌はなおったかな」
「無理です…もう、何をすすめればいいのか、全然わかりません…」
「まあまあ。あゆみちゃんも、婦人と会ったのが初めてだったわけだし。婦人になんて言われたの?」
「…イチから勉強してこいって」
「ほら。全くダメだったら、もう来るなって言われるわよ。まだチャンスはあるわよ。…っと、あたたた…」
 井上の痛がる声に、あゆみは、はっと正気に戻った。
「先輩、大丈夫ですか?」
「うん。時々蹴ってくるのよね。元気な証拠だからいいんだけど」
 井上は妊娠八ヶ月だ。一週間前の産休に入る前日まで、あゆみに外商の仕事を丁寧に教えてくれた。ほんわりとした優しさのある人で、外商部のメンバーからもお客様からも人気ナンバーワンだった。あゆみの憧れの先輩だ。
「あの、もうちょっと粘ってみます。先輩の言う通り、もう来るなって言われたわけじゃないから」
 身重の先輩に心配をかけてはいけない。あゆみはぐんにゃりしていた背筋を伸ばして声を改めて言った。
「うん。再チャレンジできるってラッキーなことよ。頑張って。いつでも相談に乗るから」