「姉は風の渓谷に行ったことはなかったが、幼き頃から前継承者に様子を聞かされていてね、いつか自分が継承出来る日をずっと夢見ていた。峰から見下ろすリムナトの街並み、高き山々に沈む美しい夕陽、其処から吹く風は水気を含んで甘く、この泉の水の匂いに似ている。この水をずっと身体に染みつかせてきた私たちにはとても心地良い匂いだ……だが姉には渓谷を目指せるほどの強い身体が欠けていた。例え辿り着けたとしても、朝晩の礼拝をこなすことなど到底不可能だ……クレネが快諾してくれたこともあり、その任務は私たちが請け負うことになった。姉は本当に申し訳ないと心から詫びてくれたが、私たちもいつか自然の中で子を育てたいという想いはあったんだ。アンシェルヌ、君にも同じ経験があると思うが、王家の子供は大抵親しき友には恵まれない。姉はいつか生まれる自身の子と、そして愛らしいレインの将来を懸念したのだ。王子・王女という確固たる高位はもちろんのこと、外見の美しさは時に嫉妬の対象となる。姉もそれを十二分に感じて生きてきた。だからこそ例え肉親との別れは辛くとも、例え二国を支える重責が課されたとしても、国家を(にな)(おさ)としてではなく、自然の中で民たちと平等に伸び伸びと生かしてやりたい……姉の言葉にはそのような祈りが込められていた」

「お母さま……」