幸村の暗殺を命じられたのは、冬の陣が終わって直ぐのことだった。
 そもそも講和など、徳川にとって謀略のための猶予期間でしかない。

 柔弱な豊臣の家臣など、物の数では無い。
 ただ、全員死兵と化した牢人達の存在が、徳川を悩ませた。

 とは云え、死兵と化した牢人達も、元をただせば主家を持たぬ烏合の衆でしかない。
 問題は、その牢人達を手足の如く操る、後藤基次、長宗我部盛親、明石全登と云った、歴戦の牢人大将の存在だった。
 
 とりわけ、冬の陣で城外要塞に籠もり、徳川の寄せ手を痛撃した幸村は、徳川の首脳陣から危険視されていた。

「彼奴さえ亡き者にすれば……」

 牢人大将は相互の抑えを失い、
 牢人達は烏合の衆に戻って、
 豊臣家の防戦能力は、戦わずして瓦解するだろう。

 女忍びの命一つと引き換えにそれが得られるのなら、安いものだった。