「香坂さんとヨリ戻したら?」

 同僚に言われたのは、彼と別れて3ヶ月ほど過ぎた頃だ。

「痛々しくて見てらんないよ。そんなに痩せちゃってさ」

 残業後の更衣室には、彼女と私しか居ない。

「えー、大丈夫だよ」

 私は作り笑いを浮かべ、ロッカーからコートを取り出したが、すそが引っかかったのか、何かが軽い音を立てて足元に転がり落ちてきた。

 彼の好きなブランドのロゴが入った、小さなギフトバッグ。

 誕生日に渡せなかった腕時計が入っているそれを、私は持ち帰ることも処分することも出来ず、会社のロッカーに入れっぱなしにしていた。


「……大丈夫じゃないじゃん」

 同僚が私の肩に手を置いた。

 少しも動けず一言も話せない。大粒の涙だけが、せきを切ったように流れて止まらなかった。


 彼の言うことを、私はどうして素直に受け入れられなかったのか。

 生まれも育ちも違う彼の隣に立ち続けるためには、私はやっぱり努力すべきだったのだ。

 反発する私に折れてくれたのは、彼の中に努力の強要をためらう気持ちもあったからに違いない。

 それでも彼は、ちゃんとしたマナーも知らずガサツなままでは私が苦労すると思って、言いたくない小言を口にしてきたのだろう。

 彼が私との将来を考えていなかったら、そんなことを言う必要はなかったはずだ。いつか結ばれる日のことが頭にあったから、彼は自分の立ち位置まで私を引き上げようとしてくれた――なのに、その場限りの甘さを求め、指摘をはねつけた私の浅はかさが、彼との将来を壊したのだ。


「本当はフラれたんだ」

 私はしゃくりあげながら同僚に打ち明けた。

「私が馬鹿だった……」

 あんなに余裕ぶっていたのに呆れられるだろうなと思ったが、吐き出してしまわないと苦しくて破裂しそうだった。

「その気持ち、ぶつけてみたら?」

 同僚は私の背中を優しく撫でながら言った。

「どっちみち駄目だったとしても、このままじゃ後悔すると思う」

「そうかな」

「ちゃんと玉砕してこないと次に進めないよ? あんたが元気ないと、からかう相手いなくてつまんないし」

 同僚の軽口が、いつになく温かく感じる。

「ひどい」

 私は泣き笑いで応えた。




 彼に会わないといけない――連絡が取れないので、待ち伏せと押しかけしか方法はなかった。

 自宅に押しかけるのは怖い。うっかり週末になんか訪ねて、新しい恋人と一緒だったらと想像しただけで足がすくむ。

 色々考えたが、平日の夜、彼が利用する私鉄駅の改札が見えるファストフード店で待ち伏せすることにした。


 彼が現れたのは乗降客もまばらな午後11時過ぎ、改札を通り抜けて足早に自宅方面へ向かっていく。

 遠目にも疲れた様子が見て取れ、機嫌が悪いなら出直した方がいいかもしれないと弱気の虫がささやいた。

「いやいや、頑張れ私」

 小さく呟いて我が身を鼓舞する。

 腕時計の入ったギフトバッグを握りしめ、私は立ち上がった。


 白い息を吐きながら、小走りで彼を追いかける。

 後ろ姿が近付くにつれ、緊張が高まり体が震えた。それでも、この足を止めるわけにはいかない。


「香坂さん!」

 私の声だとわかっただろうか。5メートルほど先で彼は立ち止まり、ゆっくり振り返った。

「お話したいことが、あります」

 無視されるかもしれないと心配したが、私が追い付くまで黙って待っていてくれた。

 渋いモスグリーンのショートマフラーを首に巻き、スーツの上に黒いチェスターコートを着たその姿は立っているだけで様になる。

 以前と同じ、くもりのない真っ直ぐな目をしていた。