「「あのさ」」
静寂の中、2人の声が被る
「あ、ごめん、先いいよ。」
私が瀬戸くんに言うと、瀬戸くんは頷いて、小さく深呼吸をした。
「指揮者引き受けてくれてありがとう。一ノ瀬さんじゃなかったらこんなにいい演奏できなかったよ。」
「ううん。私こそ。選んでくれてありがとう。」
「それでさ、俺、春からアメリカ行くんだ。ピアノ本格的にやりたくて。」
噂はやっぱり本当だったんだ。
寂しいけど、瀬戸くんのピアノならアメリカに行ってもきっと活躍すると思った。
「だから最後にこんなに良い思い出を使ってくれた一ノ瀬さんにはお礼が言いたくて、ありがとう。」
そう言って瀬戸くんは優しく笑った。
その笑顔があまりにも優しくて、目頭が熱くなる。
私も気持ちを伝えなくちゃ。
そう思っていても言葉が出てこない。
「いつ、アメリカに行くの?」
なんとか絞りだした私の声は少し震えていた。
「実はもう今日の夜の便で行くんだ。」
あまりの急な展開に頭が追いつかない。
「え、今日?」
「うん。だからクラス会にも行けないし、一ノ瀬さんに会うのもこれが最後。」
「そっか。」
「うん。」
また音楽室の時計の針が大きく聞こえる。
「「あのさ」」
再び2人の声が音楽室に響いた。
「また被っちゃったね。一ノ瀬さん、どうぞ。」
わたしは決心をして頷き、なるべく明るく言った。
「アメリカに行ってもがんばってね!」
自分の気持ちは飲み込んだ。
今自分の気持ちを伝えて瀬戸くんを困らせてはいけないと思った。
明るくアメリカに送り出してあげなくちゃ。
瀬戸くんは少し目を見開いたあと笑顔で微笑んだ。
「一ノ瀬さんに応援してもらえたら、アメリカでも頑張れそうだな!」
「うん!応援してる!」
私は自分の気持ちを隠して、精一杯の笑顔でそう言った。
「ありがとう!頑張るよ。」
そう言って瀬戸くんが時計を見る。
あと少しで、チャイムが鳴る時間だ。
「瀬戸くんはさっき、なんで言おうとしてたの?」
瀬戸くんは、優しい笑顔で首を振る。
「いや、やっぱりなんでもない。一ノ瀬さんに最後に感謝を伝えられてよかった。」
そう言って立ち上がった。
「時間大丈夫?一ノ瀬さんこの後、クラス会あるでしょ?」
「あ、うん。」
瀬戸くんが荷物を肩にかける。
まって。
「じゃあ、行くね。今までありがとう。」
そう言って音楽室の出口に向かって進んでいく。
まって、私まだ何も伝えられてない。
「私こそありがとう。」
もっと、伝えたいことがあるのに。
「ばいばい。」
そう言って瀬戸くんは背を向ける。
言いたい言葉も、伝えたいことも喉まで出かけては引っかかる。
私は精一杯涙を堪えて笑顔で見送る。
これで良いんだ。
瀬戸くんは音楽室から出ていく。
少しずつ足音が遠ざかってく。
涙が溢れ出す。
あぁ、私、思っていたより瀬戸くんのこと好きだったかもしれない。
私はピアノに目を移す。
私が1ヶ月間見た景色。
瀬戸くんと1ヶ月過ごした音楽室。
聞こえないはずのピアノの音が聴こえてくる。
初めて聴いた入学式での音。
約束をしたあの日、聴かせてくれた音。
この1ヶ月間、毎日聴いていた大好きな音。
まって。
