1ヶ月前だった。
「一ノ瀬さん、指揮者やってよ。」
すれ違いざま、そう声をかけてきたのは、卒業式でのピアノ伴奏を任されていた瀬戸祐希だった。
突然の瀬戸くんからの頼みに驚いたのと同時に、胸が高鳴った。
けれど、音楽と無縁な私に指揮者が務まるとは思えない。
「私、指揮者なんてやったことないしできないよ。人前に立つのも苦手だし。」
私は苦笑いを浮かべて、首を横に振る。
すると瀬戸くんは困った表情を浮かべた。
「俺、一ノ瀬さんが指揮やってくれないならピアノ伴奏降りようかな。」
瀬戸くんはそう言って私の顔をじっと見つめる。
「え、それは困るよ!瀬戸くん先生からの推薦なんだから!」
瀬戸くんは音楽一家の長男で、小さい頃からピアノを習っていた。
いくつかのコンクールで賞を取った経験もあり、そのピアノは別格だ。
卒業後はアメリカに留学が決まっているという噂も聞いている。
そんなこともあり、卒業式での合唱の伴奏者は是非瀬戸くんに、と先生や生徒からの声が集まっていた。