「いいや。間違えてなどいない」

 男が私に手をのばした。黒い皮手袋をはめた人差し指を見て、肩がビクついた。黒い指は私の喉のあたりを差していた。

 唾とともに短く息をのむ。

「ローダーデイル伯爵の、ノエル・ラ・ミューレンが溺愛する娘がマリーンお嬢様だ。キミで間違いない」

 仮面に空いた穴から、男が目を細めているのが見えた。クック、と声をもらし、笑っているのがより一層不気味だ。

 背筋に冷たいものが流れ落ちた。男の挙動にゾッとして唇が震えそうになった。

 グッと奥歯を噛み締めて、私は恐怖をひた隠しにした。

「に、二、三日で……っ、帰してもらえる?」

 男は笑うのをやめて、再度首を傾げた。

「だって。誘拐、なんでしょう? お父様と身代金の交渉をして、それが済んだら帰らせてもらえるのよね、そうよね?」

「色々と準備がある。今はおとなしくしていろ」

 こちらの問いには何ひとつ答えず、男は立ち上がり(きびす)を返した。室内から立ち去る気配がした。

「ねぇ、お願いっ、早く私を帰らせて!」

 男は出入口らしき扉を開けて、振り返ることもなく出て行った。やはり返事はなかった。