『竜の聖女の刻印』が現れたので、浮気性のあなたとはこれでお終いですね!

 
「あー、え、えーとそれはあのー、ちょっと事情が……ええ、はい、あの、王子が……ニコラス殿下がですね」

 頭が痛い。
 まさか、また“迎えに”来るなんて。
 いったいどういうつもりなの?
 陛下や王妃様はちゃんと言い聞かせて——ああ、言い聞かせたところで理解してもらえなければ意味はないわよね。
 とはいえ、『聖女』を竜の塔から連れ帰ろうとするなんて前代未聞。
 誰もやろうとしないから、犯罪の認定すらされないほどありえない。
 けれど二度目。
 さすがに、今回は陛下や王妃様に今後のニコラス殿下の扱いに拘束や監視を入れていただかないと。
 それとも、もう拘束や監視の選択肢は入っていても逃げ出してくるのかしら。
 ニコラス殿下ならありえる。

「!?」
「レイシェアラ!?」
「あ、え? あ、だ、大丈夫——っ」

 突然目眩がして、ベッドから落ちそうになった。
 ヴォルティス様に支えられて落下は回避できたけれど、目眩はどんどんひどくなる。
 それだけでなく、呼吸も、普通にできない。
 なに? これ?
 こんなこと初めて。
 不安で、不安で、不安で。
 胸が張り裂けそうなほど不安で。
 涙が勝手に流れてくる。
 息が苦しい。上手く呼吸できない。
 なに、これ? なんなの?

「落ち着け、レイシェアラ。大丈夫だ。ここは安全だ。どこにも行かなくていい。帰りたいなら家族のところへ帰ってもいい。あの男は入ってこれない。もう大丈夫なんだ」
「……っ、……ふっ、う……ふぅ」

 背中をさすってもらい、呼吸が少しずつ落ち着いてくる。
 なんで?
 涙が全然止まらない。
 ヴォルティス様の肩に額を置いて、手を握ってもらい、背中をさすってもらっていると息はしやすくなるけれど。
 どうして、涙は止まらないのだろう。

「はぁ、ふぅ、はぁ……はぁ、はぁ」
「そうだ、ゆっくり……大丈夫だ、ゆっくり息を整えろ。上手いぞ」
「はあ……はぁ……」

 声が、脳の奥に響く。
 大丈夫。
 この方は竜王。
 世界に八体しかいない、竜の一角。
 ニコラス殿下よりも強い。
 たとえ勇者の血を引いていようとも、きっとヴォルティス様の方が。
 私はあの人のところに帰らなくていい。
 ヴォルティス様のお側にいてもいい。
 大丈夫。
 繰り返し心の中で唱えると、涙も治まってきた。
 みっともない。
 情けない。
 申し訳ない。

「ご、ごめんなさ……」
「なにを謝ることがある。人間は弱い生き物だ。お前は聖女である前に人間の弱い娘なのだから、いい加減気を張るのはやめろ」
「…………」
「……いや、すまない。竜の側など、気が休まるわけもないだろうが……我はお前に——聖女に……なにもしない。怯えさせてすまない」
「…………っ、そんなことは、ないです! ヴォルティス様を恐ろしいなんて、思ったことは、一度も!」

 手が離れそうになり、慌てて掴み直す。
 あなたを恐ろしいと思ったことなんて、一度もない。
 それどころか、いつも美味しいご飯、私の話を優しく聞いてくれて、毎日嬉しくて、楽しくて。
 人と話す喜びを、思い出させてくれた。
 お父様やお兄様とも違う。
 話すのが楽しい。嬉しいって。

「……お前は不思議な女だな。ミネルバとて我と対話をするのに五十年かかったというのに」

 仕方なさそうに微笑まれる。
 いえ、寂しそう?
 ミネルバ様は前任聖女。
 ヴォルティス様は、それほどに聖女と会話をしてこられなかったの?
 それは——。

 さみしい。

 ああ、この方の瞳の中の孤独がとてもよくわかる。
 繋いでいない方の手を伸ばして、頬に触れた。
 涙が引っ込むほど、あなたの孤独がよくわかる。
 私には親友も家族もいてくれたけれど、それでもニコラス殿下に連れ回されていた時は、言いようもない寂しさと恐怖がつきまとっていたもの。
 あなたの孤独な時間の長さからすれば微々たるものかもしれないけれど。

「それで、そのお姿を得るために、五年も修行なさったのですね……」
「う……。し、紫玉国の者たちに迷惑はかけたと思う。だが、その……」
「ええ、とても素敵です。きっと私のあとの聖女たちも、ヴォルティス様とお話しようとなさいます。いえ、聖女だけではありません。紫玉国の誰もがヴォルティス様を素敵な方だとわかってくださいますわ」

 だってこんなに優しいのだもの。
 誰だって好きになる。
 誰からも尊敬される。
 この国を長年支えてきた、竜王様なのだから。
 ……うん、紹介したい。
 せめて、お父様やルイーナや陛下やお妃様には。
 見て、私が仕える竜王様は、こんなに優しくて素敵。
 苦しいのも不安なのも、気がついたら落ち着いている。
 この方のお側は、こんなにも……。

「…………本当に、そう思うか」
「はい。思います。ヴォルティス様、私のお父様や親友に、あなたをご紹介したいです」
「怯えるのではないか?」
「大丈夫ですわ。それに、怯えられたとて最初だけです。ヴォルティス様がこんなに素敵な方だとわかれば、皆ヴォルティス様とお話したいと思います。あなたは優しい方だもの」
「そう、か。……では、そのうちお前の大切な者を、我に教えてほしい」
「! ……ええ、もちろん。喜んで。私からお願いしたいくらいです」

 背中をさすっていてくれた手も止まる。
 それから、ベッドに戻された。
 横たわり、布団をかけられる。

「側にいる。もうしばし休め」
「……。はい」

 お言葉に甘えさせていただきます。