境界線を越えたくて

 いつでも言えると思っていた。
 いつでも伝えられると、そう思っていた。

 そんな自信があったあの頃の俺には、拳を放ちたい。

 無視されて、嫌われたって思い込んで何も行動しなかった自分。胸ぐらを掴んでやるから、今すぐここへ出てこいよ。

 なんて鏡に映る自分をいくら罵っても、現実は変わらない。俺は彼女を諦めた。

 ベランダでひとりきりの彼女を発見してしまった時、しまったと思った。その頃にはもう俺の引っ越しは決まっていて、逆らうこともできないとわかっていたのに喉から手が出た。

 彼女が欲しい。

 その本能だけで、動いてしまった。

 ベランダにいる彼女はどこか儚くて、春一番が吹いていたその日もこの風が君を丸ごとさらってしまうのではないかと不安になった。それかその背から生えた翼で、飛んで行ってしまうのではないかと。
 だけど君は空を見上げていた。鳥のような白いものを眺めながら、耳へと髪を運んでいた。

「水沢さんっ」

 涙が零れ落ちぬよう空へと目をやれば、浮かぶ彼女。手を伸ばすがもう届かない。ここは勇気を出せば君に触れられるベランダではない。

「……っ!」

 俺の判断は間違っていたのだろうか。こんなにも侘しいのはそのせいなのだろうか。

 彼女に逢いたい、想いを伝えたい。

 それを絶ったのは自分なのに、塩気に満ちた雫が容赦なく頬を伝うから参ってしまう。