「そんなことないですよっ」

 彼は突然、「あ」と言って遠くを指さした。

「え?」

 彼の指さす方を見ると何もない。「何もないじゃないですか」と言おうとしたら、彼に頬をキスされた。

「ほら、隙だらけだ」

 即座にキスされたところを手で触れた。

「なっ」

「俺は慧のこと、本気で愛しているよ。ご両親に負けないくらいに」

 聞きなれない彼の「俺」という一人称にドギマギしてしまう。彼が「俺」と言うときは完全に素で話しているときだからだ。

「私も、これから先ずっと、啓之さんが大好きです」

「うん」

 彼は優しくふわりと私の唇にキスをした。

「連れて帰りたいけど、お父さんに怒られちゃうからまた今度ね」

「はい」

 彼は車に乗って私の家を去って行った。

 家の中に戻ると、母はリビングのテーブルの片付けをしていて、父はソファに寝そべってテレビを見ていた。

「西島さん、男前じゃない。しかも優しくて誠実で経済力もあって、非の打ち所がないわね。あんなド直球に気持ちを伝える人初めて見た。あなたよくあんないい人つかまえたわね」

「そ、そう?なんか、顔合わせみたいだったね」

「ちょっとちょっと」

 母は私をキッチンまで手招きしてこそこそと話し始めた。

「結果的にそうだったじゃない?」

「え?」

「あのカステラ、西島さんが選んだの?」

「そうだけど」

「じゃあ尚更、彼も半ばそのつもりだったんじゃない?顔合わせとか結納の手土産にカステラって定番なのよね。どんな意味があるか知ってる?」

「さあ?」

「カステラって形が長いじゃない?『末永くお付き合いをよろしくお願いします』って意味なのよ」

「そうなんだ…」

「あなたがお嫁に行く日もそう遠くないかもしれないわね。お父さんはまだ早すぎるって言うに決まってるだろうけど」

 結婚、か…。たしかにまだ大学生の身分の私には現実味のない話だ。でも、結婚するならやっぱり…と思い浮かぶのは西島さんだった。1年後、5年後、10年後、その先もずっと、彼の隣にいるのは私であってほしいと願う。